広報ふくさき 令和2年(2020年)7月号 8ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 ---------- 作文「病気になって良かった」福崎東中学校3年(当時)深見萌杏 優しさには、いろいろあると思います。声をかけず、そっと寄り添うやさしさ。「頑張れ」「大丈夫?」などと、心配して声をかけるやさしさ。                         みなさんは学校を休みがちな人についてどう思いますか?「来たり来なかったり、うらやましい?」「さぼり?」「嫌なことから逃げている?」と思う人もいるでしょう。 学校へ行くのは当たり前のこと。しんどくても毎日学校へ行き、頑張ることができている人もいます。だから、そのような考えがあるのは当然だと思います。 しかし、私はその当たり前のことが突然できなくなってしまいました。 中一の秋、激しい頭痛に見舞われ、学校に行くことが難しくなりました。そしてある日突然、起き上がることすらできないほどの痛みに襲われ、激しい頭痛で目眩(めまい)もひどく、やっと布団から出られたと思った時には夜でした。それが何日も何日も続きました。布団に入って横になっている間も目がぐるぐるまわって、何かを考えることもできませんでした。何をしていても、しんどく寝転んでいることしかできない、つらく苦しい日々でした。 「学校へ行きたい。部活がしたい。友達に会いたい。」そんな気持ちがあるのに、身体が動かない。先の見えない不安から「みんなどうしているのかな?」「なんで私だけこんなつらい思いをしないといけないんだろう」「なんで学校に行けないんだろう」と自分を責めたり、「みんなは私のことをどう思っているんだろう」と不安な感情も入り交じり、孤独感しかありませんでした。毎日毎日、朝が恐怖で、もがき苦しんでも起き上がれないという生活が数ヶ月続きました。 そんな私に下された診断は「起立性調節障害」でした。急激な体の成長に伴い、自律神経の不調から血流が滞ることで血圧が低く、朝起きられないなどの身体症状が出る病気です。中学生の十人に一人はなると言われていて、誰がいつなってもおかしくないそうです。 以前の私は人には頼らず、自分のことは何でも自分でやって当然という強気な性格でした。しかし、この病気になり母が寄り添い支えてくれたお陰で、少しずつ自分の弱い部分を見せたり、何でも話せるようになりました。それまでの自分の性格が自分を追い詰めてしまっていたのかもしれません。見守り支えてくれた家族や、友達の優しさのお陰で、今は症状も良くなり朝から学校へ行くことができています。学校へ行くと抱きしめてくれる友達がいます。みんなが支えてくれたからこそ、私には居場所があるんだと思えて、みんなに救われて戻ってくることができました。 一方で、同じ病気のある子がまわりに理解してもらえず、つらい思いをしているということも知りました。学校を休むと「さぼっている」と思われたり、朝起きられないと親に「仮病だろ」と言われることもあるようです。「起きたい」と強く思っても、体がだるくていうことをきかないのがこの病気の特徴です。その葛藤やストレスが症状を悪化させてしまい、悪循環に陥ってしまう人もたくさんいるそうです。周りの人のほんの少しの理解で、いつ治るか分からないつらさから救われ快方に向かうこともあります。私は、病気のことを理解してもらえなくて苦しんでいる人が一人でも減るように、たくさんの人に「起立性調節障害」という病気を知ってもらいたいです。また、学校に来ていないということを、簡単に「さぼり」とひとまとめにして噂をするのではなく、学校に行きたくても行けない人もいるということを理解し、寄り添い、言葉をかけてあげられる人が増えていってほしいです。 本当はこんな病気になりたくなかったけれど、たくさんつらい事を経験したからこそ見えてきたことがあります。今は、「病気になってよかった」と思えるようにまでなりました。   私は、つらい時そばで支えてくれた家族や友達の優しさに救われました。今度は私が、優しさを与えられる人になり、つらい思いをしている人を救ってあげたいです。 ---------- ポスター作品 八千種小学校1年(当時)西井陽斗 福崎小学校3年(当時)橋杏樹 田原小学校5年(当時)大國柚依 福崎西中学校3年(当時)山口颯太 ---------- 人権標語 どうしたの ひとこと声を かけてみよ 福崎小学校3年(当時) 吉田治道 大じょう夫 その一言で 変わるから 田原小学校6年(当時)井口寧 口にした 軽い一言 深いきず 福崎東中学校1年(当時)白井柚羽 ありがとう その一言で みんなが笑顔 福崎西中学校2年(当時)大畑寧々