広報ふくさき 令和2年(2020年)11月号 11ページ ---------- 福崎町文化財だより(78) 3ページ目 ---------- 松岡五兄弟(松岡こつる)第54話 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう   松岡こつるの書簡A  神戸大学大学院人文学研究科 特命助教 井上舞 先月このコーナーでご紹介した、松岡こつるが三木家七代目当主・つうしん(しんざぶろう)に宛てた書簡。今回は、その内容に触れてみたいと思います。 調査の際、松岡こつる書簡の発見のきっかけになったのは、差出の「ふみ母」「けんじ母」という署名でした。とはいえ、署名に本名が書かれたものはなく、この段階では、一連の書簡がこつるの書いたものと断定することはできませんでした。そこで、数点の書簡を撮影・解読し、内容を確認することにしました。その中のひとつに、 「ナメクジリ(ナメクジ)」を表す美しい言葉は、何がありますか? と書かれた書簡があったのです。これが、こつるの書簡と判断する決め手となりました。 まず書簡の内容を見てみましょう。この書簡では、ナメクジを表す言葉について尋ねているほか、「キリウ」「シンキ」という言葉は漢字でどう書くのか、どんな本に使われていた言葉なのかについて質問しています。 さらに、この続きに貼られていた書簡には、 「ゆえん」をはじめ、たくさんの(ナメクジを表す)名前を教えてくださり、ありがとうございます。 と書かれていました。ここから、先の質問に対して、つうしんがきちんと返事をしたことがわかります。また「キリウ」「シンキ」という言葉については返事がなかったのでしょうか。つうしんから借用した書籍に記述があった気がする、と伝えた上で、 (私の考えは)いつもの思い違いでしょうか、もしすぐにわかるようでしたら、教えてください。 と、重ねて質問しています。 これらの内容から、なぜ一連の書簡がこつるのものと判断できたのか。実は、こつる亡き後、息子のみさお(ふみ・けんじ)は、母の漢詩や、近隣の文化人とやりとりした書簡を『こつるじょししこう』としてまとめています。この中にナメクジを題材にした漢詩が残されていたのです。ナメクジは「漢字=ゆえん」ではなく、「漢字=かつゆ」と表現されており、これもつうしんから教わった言葉を使ったと考えられます。また、漢詩には「漢字=シンキ」という言葉も用いられていました。こうして、署名だけでなく、書簡の内容とこつるが作った漢詩との関連性が確かめられたことから、見つかった書簡はまさしく松岡こつるのものと判断できたのです。 また、この2点の書簡の解読を通じて、@こつるは漢詩を作るにあたって、言葉の使い方や意味について、つうしんに質問を繰り返していた。Aつうしんもまた、問い合わせに対して、丁寧に返事をしていた。Bこつるは三木家から書籍を借用していた。ことなどがわかってきました。 最後に、こつるがつうしんに質問を繰り返して作った漢詩について紹介しておきましょう。 はしことば(詩や歌の前につけられた、それが作られた由来などを書いた文)によれば、この詩は「裏庭で見かけた大きなナメクジをじっと見つめていると、ナメクジが角を出していたので、にっこり笑ってこの詩を作った」とあります。 続く漢詩は長文なので、ここで全てを解説することはできませんが、「なめくじ、なめくじ、なんと無益な者よ」と、ナメクジに向かって、姿形やその動きの無益さを語りかけたのに対して、ナメクジが応え、人のあくせくとした生き方に比べて、自分の生き方が、いかにゆったりとした素晴らしいものであるかについて語る、という壮大な内容になっています。 この漢詩の全文と訳は、『こつるじょししこう』の他の漢詩・書簡とともに、かどれいこさんの編著書、『幕末の女医、松岡こつる』に掲載されています。福崎町立図書館にも配架されているので、ぜひ一度読んでみてください。