広報ふくさき 令和4年(2022年)8月号 6ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 いろんな国の人 八千種小学校2年(当時)うさき むつみ  「あははは。へんな名前だな。」  わたしは、テレビを見ながらおとうとたちとわらいました。そのテレビでは、はだの色がくろい人がはしっているところをうつしていました。そう、とうきょうオリンピックです。  今年も、しんがたコロナウイルスにかかる人が多いので、おでかけができませんでした。だから、家ぞくといっしょにオリンピックを見ていました。そこには、たくさんの国の人がでていて、いろいろなふくやぼうしをみにつけていました。はだの色がちがったり、体に絵をかいたりしている人がいました。そんな人を見つけては、おとうとたちと、 「またへんな人がおった。」 と大わらいしていました。  ある日、こんどはおもしろい名前の人を見つけてわらっていると、「人の名前でわらったらあかん。日本では、へんな名前に聞こえるかもしれないけど、その国では大切な思いがこめられてるんや。」 と、おとうさんが話してくれました。その話を聞いて、わたしはむかしいっしょにあそんだモンゴルという国の友だちを思い出しました。その子は「ニンジン」という名前の女の子でした。はじめて名前を聞いたときは、『なんでやさいの名前なんだろう、おかしいな』、と思っていました。でもモンゴルで「ニンジン」は「やさしい子」といういみがあると教えてもらってびっくりしました。  オリンピックを見て、じぶんや家ぞくと見た目がちがう人や、いろんな名前の人がいることをしりました。今でもちょっとおかしいなと思うこともあるけど、見た目や名前でわらったり、ばかにしたりしないようにしたいと思います。そして、ほかの国のことや名前のいみをもっとしりたいと思います。 米作りの歴史的な背景から気づいたこと 高岡小学校6年(当時)くろだ なな むし暑くなってきた七月の初めごろ、田植えをしました。田に入ると、どろの中には小さな木の枝や植物のくきがいっぱい混ざっていて、足の裏をこちょこちょとくすぐったり引っかいたりしてきます。私はそのたび、「いたっ。いたっ。」 とつぶやきました。小さな虫もたくさんいて、虫が苦手な私は首の後ろがそわそわしました。 しばらくすると、ひんやりと冷たかった足のまわりが、じわりと温かくなってきました。自分の体温がどろに伝わって、そう感じるのかもしれないと思いました。かたまりからなえを数本ずつちぎると、白い根だけが残ったり、植えるときにつめにどろが入ったりして、大変なことばかりでした。 田に入る前、「今持っているなえを植え終わったら、目印のロープを下げるから、一歩下がって待っておいてね。」と言われたけれど、何回かに一回は後ろに下がるのを忘れて、バランスをくずして後ろに転びそうになりました。手持ちのなえがなくなると、田の外からかたまりのなえを投げてもらいます。すごいスピードで飛んでくるなえを受け取るのはとても難しく、失敗するとバッチャーンと田に落ちて、どろが周りに飛び散ります。私は失敗して、「やってしもた」と思いました。 大変な田植えを終えて、社会の時間に勉強したことをいくつか思い出しました。 一つ目は、米作りが始まった「や生時代」のことです。自分が田植えをする前は、米が原因で争いなんて起こるものなのかなと不思議に思っていました。でも、実際に田植えをしてみると、その理由が少しわかったような気がしました。村のみんなが生きていくためには、米をたくさん作ることができる広い田や、豊富な水が必要です。少しでも自分の村の田を広げるために、土地を取り合って争うのは、村のみんなのことを思えば当たり前のことかもしれないと思いました。 二つ目は、平城京のことです。このころ、農民は税として米を納めなければいけませんでした。米を作り、都まで運ぶ時間と労力を考えると、本当につらかっただろうなと思います。大変な苦労をして作った米を、自分で食べられないのはかなりのくやしさだったでしょう。農民が納める税にたよってゆう福な生活をしていた貴族は、苦しい農民の生活を楽にしようと、ほんの少しでも思わなかったのかなと思います。  米作りの歴史的な背景から、立場の強い者が弱い者に対して、力づくに無理なことを要求するのは、間ちがっていると思います。世の中には、目や耳が不自由な人、車いすで生活をする人など様々なかん境の中で互いに助け合いながら暮らしている人が、たくさんいます。私は、これからだれもが平等で安心して暮らせる世の中になってほしいと思っています。そのためには、お互いの思いや考え方、生活かん境のちがいなどを正しく理解し、認め合うことが大切だと思います。だれかの考えに対して、「それは、まちがっている」「自分の方が、正しい」と最初から決めつけてしまうのはいけないと思います。私は、これからたくさんの人に出会うと思います。自分と気が合う人ばかりではないでしょう。お互いの考えがちがっていても認め合えるように、相手を思いやれる心を持ち続けたいと思います。 --------- ポスター作品 福崎小学校6年(当時)いがらし りの 田原小学校5年(当時)ほりかわ ひな 福崎西中学校2年(当時)しばた さら 福崎東中学校3年(当時)ふるた こころ ---------- 人権標語 言ってみよう ふわふわことばで いいところ 福崎小学校2年(当時)しもさき いおり 考えよう 見て見ぬふりも 同じだよ 田原小学校6年(当時)すがはら さくたろう 差しのべよう その手一つで 救われる 福崎西中学校2年(当時)くすだ そよ 逃げてない? 見て見ぬふりは ダメなこと 福崎東中学校2年(当時)こばやし あいか