広報ふくさき 令和4年(2022年)12月号 11ページ ---------- 福崎町文化財だより(82) 1ページ目 ---------- 〜三木家との交流からみえる柳田國男・松岡家の故郷への思い〜 特別展示 松岡五兄弟からの手紙 入館料無料、11月30日(水曜日)まで開催! 会場 三木家住宅 主屋 開館時間 午前9時から午後4時30分(入館は午後4時まで) 休館日 月曜日、祝日の翌日(11月23日は開館) 代々学問的交流があった三木家と松岡家の明治以降のかかわりについて、新たに寄贈された書簡類を調査することで松岡家の兄弟それぞれが三木家と交流を持っていたことがわかってきました。  本展では、松岡家の人びとから三木家に宛てられた葉書や手紙を紹介するとともに、両家の交流や松岡五兄弟の故郷への思いなどを探ります。 写真=松岡五兄弟 大正10年(個人蔵)右から通泰、鼎、國男、静雄、映丘。 故郷を離れたご兄弟  三木家と同じ辻川で生まれ育った松岡五兄弟は、それぞれの道で才能を開花させ活躍しました。長男の かなえ は医者・政治家、三男の いのうえ みちやす は医者・歌人、六男の柳田國男は官僚・民俗学者、七男の しずお は軍人・言語学者、八男の てるお(えいきゅう)は日本画家です。  故郷を離れ、当時の人びとが思い描く立身出世を遂げた5人は、まず明治13年(1880)、通泰が15歳で上京します。次いで鼎が明治15年に医者を目指し24歳で東京大学医学部別課に入学しました。そして明治17年、松岡家は辻川の家を売って一家で北条町(現加西市北条)へ移ります。國男10歳、静雄7歳、輝夫4歳のときのことでした。明治20年には鼎が茨城県布川町(現利根町布川)で診療所を開業し、松岡家は生活を関東に移しました。しかし、たびたび帰省をしたり、手紙や贈り物のやり取りをしたり、五兄弟それぞれが故郷とのつながりを生涯持ち続けていたことが、三木家に残された葉書や手紙からうかがえます。 写真=三木しょうたろう(つうさい)宛松岡鼎葉書 明治15年12月18日     川を離れてすぐ、大学で勉学に励んでいる鼎から送られた8代通済宛ての葉書。細かい文字で近況を報告しています。