広報ふくさき 令和5年(2023年)3月号 14ページ ---------- 福崎町文化財だより(83) 2ページ目 ---------- 歴史民俗資料館だより 本年度特別展「神崎タイムスにみる福崎ーうつりかわる暮らしー」において、松茸に関する記事を取り上げましたので、その一部をご紹介します。 松茸と福崎 古くから神崎郡は松茸の産地として知られていました。特に福崎地域においては播但鉄道の利便性から、松茸狩客が多かったとされています。旧『福崎町史』には、明治・大正時代の様子として、阪神方面から臨時茸狩列車が増発されたことのほか、福崎駅付近に茸狩案内者がいたことや、現地まで自動車や馬車が通っていたこと、駅構内に松茸の相場を掲示したことなど、来客者のもてなしにも努めていた様子が記されています。 記事にみる賑わい  「神崎タイムス」は、昭和24年から昭和43年にかけて発行された神崎郡唯一の郷土新聞です。戦前に引き続き、松茸でにぎわう福崎地域の様子が紙面でもみられます。  松茸シーズンの最盛期を前に、神姫バスは「臨時タケ狩バス」の準備をし、商工会は「タケ狩案内所」を設置、旅館や料亭も誘客宣伝に力を入れていることが報じられています。  松茸狩の最盛期では、福崎駅に二千人の客が訪れた様子や料理屋の喜ぶ様子など楽しい雰囲気を伝える記事が多くあります。  昭和24年の記事には、松茸100匁(375グラム)が20円という安値で販売されたとあり、今よりずっと身近な食材だったことがわかります。 陰りだす松茸生産 にぎわいが伝えられる一方で、昭和30年以降、松茸の不作を伝える記事がみられるようになってきます。  昭和36年の記事では不作のため松茸山解禁の10日間延長が報じられます。昭和39年になると福崎町で松茸の人工栽培の実験に関する記事もあり、不作に悩む様子がうかがえます。  その後の記事では、松茸不作のピンチヒッターとして、しいたけ生産が吉田や北野をはじめとし、盛んになっていく様子をみることができます。昭和36年の記事には、福崎産しいたけが高級品とみなされるようになったと記されています。  松茸としいたけは、町勢要覧でも特産物や農林業の項目で取り上げられ、昭和61年まで掲載されました。 写真=福崎名物松茸狩の清遊 旧『福崎町史』大正4年(1915) 写真=松茸山御案内の帯広告 昭和24年9月15日発行 松茸シーズンになると、旅館や料亭から広告が出されました。 写真=町勢要覧に掲載されたしいたけ・松茸の写真 『町制30周年記念ふくさき』昭和61年(1986)