『福崎町立神崎郡歴史民俗資料館』
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□ 平成13年度特別展「郷土の日本画家 藤本 煙津」

● 郷土の日本画家 藤本煙津について
 今年、没後75年を迎える藤本煙津は天保9年(1838)(戸籍上では嘉永2年)に神東郡井ノ口村に生まれました。特に山水画を得意としたほか、漢詩・篆刻でも多くの作品を残しています。一時、神崎郡役所に郡書記として奉職し、その間、郡長倉本雄三や漢学者松岡操(柳田國男の父)などとともに文芸に親しみ、辻川を中心とした明治地域文化が花開きました。
 藤本煙津(本名節二)は、天保9年(1838)、繁内甚兵衛の次男として井ノ口村(現神崎郡福崎町西田原)に生まれました。しかし、戸籍の上では嘉永2年(1849)5月13日に出生したことになっているので、11年の差があります。節二は、同村藤本林蔵の次女ゑつと結婚し藤本家の養子となりました。
 明治12年(1879)神崎郡役所雇を拝命します。明治18年(1885)官吏となって岡山医学校(現岡山医大)に赴任し、のち神崎郡役所郡用掛を拝命します。そして、明治19年(1886)郡書記判任官10等に任命され、明治22年(1889)兵庫県収税属に転任しますが、明治24年(1891)再び郡書記判任官6等、のち5等として奉職し、明治27年(1894)郡役所を退官します。長年にわたる在職中の功績は、大いなるものがあったといわれています。その間、余暇を利用して時の郡長倉本櫟山(本名雄三)や漢学者松岡操(民俗学者柳田國男の父)等と共に詩歌を楽しみましたが、明治29年志をたてて大阪に居を移し日本画、篆刻に専念し余生を送りました。
 煙津は、日本画を島琴江(1821〜1899)に学び、のちに村田香谷(〜1912)に師事して南宗派の画を修めました。特に山水画を得意とし、大阪・京都・徳島等の日本画展覧会において、褒状1等、功労賞、名誉賞など数多くの入選特選を果たしました。そして、文部省展覧会出品作として「蓮花図」「梅林図」等があり、帝国絵画協会の会員でもありました。
 また、漢詩を江馬天江(1825〜1901)に学び、その影響をうけて神崎郡内の風物を詠んだ詩歌を多数残しています。篆刻については高田緑雲に習い、内国勧業博覧会において褒状を授与される等、高い技術と芸術性をもちその道の大家と称されました。
 雅号については、南宗画では、「古素」「煙津」「同龍生」「榛田野逸」等、篆刻では「石樵」の雅号があります。
 煙津は、温厚な性格で名利を求めず、風流詩歌を友として簡素な生活を送ったので作風も淡白な作品が多く残されています。
 大正15年(1926)5月23日、生誕の地井ノ口の生家において78歳(実年齢89歳)で多彩な一生の幕を閉じ、井ノ口墓地に眠っています。その墓碑には、弟子の藤沢章によって、
「煙津藤本先生墓
先生諱節二字古素号煙津別有榛田野逸同龍
生之号初姓繁内藤本林蔵養以配次女悦乃冐
其氏性好韻事善於詩書画篆刻大正十四年罹
疾於大阪明年五月念三日歿于郷享年七十八
諡釈浄煙有二男一女男皆夭女名廉迎姫路藩
士林晋四子達次為夫以承其家
昭和十三年五月 浪華 藤沢章誌」と彫りこまれています。
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