広報ふくさき 令和4年(2022年)3月号 16ページ ---------- 福崎町文化財だより(81) 2ページ目 ---------- 令和3年度 埋蔵文化財発掘調査速報 はやしたに遺跡(桜地区)  林谷遺跡では、令和2年度の調査で古墳時代後期のカマドを有するたてあな住居などが発見されました。令和3年度はその東隣を調査しました。  ほったてばしらたてもの7棟、たてあな住居5棟、さくあと1列のほか、どこうや溝などが見つかりました。出土した土器から、古墳時代の終わりごろから奈良時代を中心とした遺跡と考えられます。  たてあな住居の一つで、火を受けて赤くなった箇所が2か所見つかっているものがあり、はこがたろと考えられます。  調査中に鉄製品は確認されていませんが、この遺跡で日常生活に必要な小型の鉄器を作っていた可能性があります。また、他のたてあな住居からも火を受けた箇所が確認されており、鉄器製作に関わるような工房跡の可能性があります。  令和3年度の調査では、遺跡の時期だけでなく、鉄器製作に関わる人々が住んでいた可能性が分かってきました。当時の人々の日常生活を垣間見ることのできる貴重な発見です。 写真=はこがたろが見つかったはやしたに遺跡のたてあな住居 神谷ヤブノハナ遺跡(神谷地区)  神谷ヤブノハナ遺跡は、いおうじの南側に位置する遺跡です。事前に行ったしくつ調査で出土した土器から、古代の遺跡であると考えられていました。  調査の結果、ほったてばしらたてものや奈良時代の須恵器が確認されました。昭和63年度に、遺跡の西側に位置するやぐち遺跡から古代の役人が使用していたと考えられるベルトの一部(じゅんぽう)が見つかっています。  神谷ヤブノハナ遺跡も出土した土器から同時代の遺跡であることが分かっており、古代の役人が住んでいた遺跡である可能性があります。 長野すわ神社周辺遺跡(長野地区)  長野すわ神社周辺遺跡は、諏訪神社の周囲に広がる遺跡です。  すわ神社の北東、南、南西の3区に分けて調査を行いました。その結果、奈良時代や中世のほったてばしらたてものなどが見つかっています。すわ神社南西の調査区から見つかった奈良時代のほったてばしらたてものは、2けんかける5けんのものと2けんかける2けんのものがあります。柱穴から奈良時代の須恵器が出土したことから時代が分かりました。  この遺跡の南西にはいおうじ境内に所在する神谷古墳が知られています。古墳時代の集落跡はこの周辺ではまだ確認されていませんが、古墳時代から続いてこの地域で人々が生活をしていたことが推測できます。 写真=長野すわ神社周辺遺跡土器出土状況 南田原じょうり遺跡(吉田地区)  令和元年度に奈良時代の大きな掘立柱建物が見つかっており、当時の役所的な遺構であると考えられています。  令和3年度の調査は、その北側で行っており、奈良時代のほったてばしらたてもの9棟などが確認されました。また、当時の役所など限られた場所からしか確認されないりょうわんという金属の器を模倣してつくられた須恵器も見つかっています。このことから、この地点にも役所的な遺構が広がっていることが確認できました。 写真=南田原じょうり遺跡遺構のようす 田尻みやのにし遺跡(田尻地区)  個人住宅建築工事に伴う試掘調査で、新たに遺跡として発見されました。調査箇所は熊野神社の西側に位置しています。  調査の結果、どこうや溝などの遺構が確認されました。土師器の皿などが出土しており、土器のかたちから、中世の遺跡と考えられます。  調査地点は田尻地区の集落の中に位置しており、これまで発掘調査があまり行われていない地点でしたが、今回の調査で、少なくとも中世からこの地区で集落が営まれていたことが分かりました。 鍛冶屋遺跡(鍛冶屋地区)  鍛冶屋村中線の改良工事に伴い、調査を行いました。鍛冶屋遺跡は、近年の調査で中世を中心とした遺構が確認されています。  今回の調査では、中世のどこうや近現代の水田に伴う水路跡などが確認されました。  出土した土器は、中世ごろの須恵器が多く、なかにはとうばんけい須恵器と言われるかんでかまあとぐん(神戸市)やうおずみかまあとぐん(明石市)などで焼かれたものが見られます。  出土した土器から、当時の交流のようすがうかがえます。