広報ふくさき 令和4年(2022年)10月号 6ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 ---------- ぼくのおじいちゃんとおばあちゃん 田原小学校3年(当時)つだ せいや ぼくは、福崎町におじいちゃんおばあちゃんがいます。大好きなので、しょうかいします。 おじいちゃんは、仕事をしながらも田んぼでお米を育てて、畑では色々な野さいを育てていて感しゃしています。おはしの持ち方や自てん車ののり方、命の大切さなど色々教えてくれます。 しょうぎがとても強くていつもまけてしまうので、おじいちゃんに勝つことが目ひょうです。 おばあちゃんは、いつも月曜日に学どうへむかえに来てくれて、習字につれて行ってくれます。土よう日にお母さんが仕事のときには、ぼくのめんどうをみてくれます。 物知りなおばあちゃんは色々楽しい場所へつれてってくれます。 いつもおもしろくて、ニコニコえがおでお花を育てるのが上手で、作ってくれるごはんは、どれもおいしいです。 二年生の春休みの時、お母さんがびょう気で一週間入いんしたことがありました。 そのとき、ぼくはおじいちゃんおばあちゃんの家であずかってもらっていました。一週間は長いし、お母さんと会えないのはさみしいと思っていたけど、おじいちゃんおばあちゃんといっしょにごはんを食べたり楽しいお話をしたり、ねてくれたりしてくれたので長いと思っていた一週間もあっというまでした。 ぼくは、やさしい二人がとても大好きで大切な人です。これからもたくさん思い出を作りたいし、いつまでも元気で長生きしてほしいです。 ---------- ごめんね 福崎小学校3年(当時)ひの みいな 体育の時間の前、友だちに、「いっしょに行こう。」と言われました。でも、行こうとすると、友だちがいませんでした。「もう先に行ったのかな。」と思って外へ行こうとすると、 「ちょっとまって!!。」 友だちの声がしました。 「なんでまってくれないの。」 「だっていなかったから。ごめん。」 友だちはだまったままほかの友だちと行ってしまいました。  どんどんなみだがあふれてきました。「わたしのせいだよね。ぜったいにきらわれるだろうな。」と思いました。わたしは下を向きながら外へ行きました。  すると、わたしがないているのを見た友だちが、 「ごめんね。」 と言ってくれました。わたしはとてもうれしくなりました。 「ごめんね。」 とわたしも言いました。  その後はなかよしでした。いつものようにしゃべったり、遊んだりできてほっとしました。なかよくするのは大事だと思います。けんかはしたくないです。でも、もしけんかをしても、「ごめんね。」の一言でなかよしになれます。  「ごめんね。」は人をしあわせにする言葉だと思います。 ---------- ポスター作品 田原小学校2年(当時)うしお いくみ 八千種小学校2年(当時)ながい みか 福崎東中学校3年(当時)あらい さりな 福崎西中学校2年(当時)きむや いよ ---------- 人権標語 きずついた心 どんな薬もきかないよ 田原小学校6年(当時)おぐら りよ 変えられる とげある笑いを 明るい笑顔に 福崎小学校4年(当時)おぐに かな ありがとう そんな気持ちに ありがとう 八千種小学校6年(当時)うえだ いつせ 広めよう 笑顔のあいさつ 思いやり 福崎東中学校2年(当時)やまもと なな