広報ふくさき 令和5年(2023年)8月号 6ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 車いすバスケットボール体験をとおして 田原小学校6年(当時)いわさき ふうり  「障害者。」  この言葉を聞くと、皆さんはどんなことを想像しますか。わたしは、人の助けがないとできないことが多くてたいへんだろうなと思っていました。その考えが、ある人に出会ったことをきっかけに変わりました。  七月十日、大阪で車いすバスケットボール体験をしました。そこで出会ったのは、車いすバスケットボールの元パラリンピック選手の「やっさん」という人です。やっさんは生まれつき足の不自由な女の人でした。わたしは初めてやっさんを見たとき、びっくりしました。なぜなら、身体が不自由なことで、心がしんどくて少し暗いところのある人かなと想像していました。でも、とても元気で明るかったからです。やっさんはとても親しみやすい人で、車いすに乗っていること以外は、私たちと何も変わりませんでした。  やっさんは車いすを器用にあやつって向きを変えたり、止まったりしていました。わたしがふつうに立ってバスケをするよりもシュートがよく入っていました。  そこで、ふつうって何だろうと考えました。それは、今までは、障がいをもっていない私たちのことをさす言葉だと思っていました。でも、やっさんを見ているとやっさんもふつう・・・、それ以上だと感じました。バスケットボールもすごく上手だし、生まれつき足が不自由でもパラリンピック選手になるくらいがんばったすごい人です。  わたしは、5年生の時に、パラリンピックについて調べたことを思い出しました。パラリンピックの理念は、心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)の3つです。全てを意識してさえいれば、わたしたち全員が楽しめるということです。わたしは、陸上競技について調べましたが、どのスポーツでも同じだと思いました。  そんな視点で、やっさんを見ていると、どうしたらそんなにうまく車いすを動かせるのか、どうしたらそんなに明るくがんばれるのか知りたくなりました。  それから、わたしは車いすに乗ってみました。車いすバスケット用の車いすはタイヤが斜めになっていました。こんなところにも工夫がされているんだなと思いました。ふつうに乗るだけでもこわかったのに、選手たちは、車いすでぶつかりあったり、転がっているボールをすごいスピードで取りに行ったりしているのでとてもきけんです。でも、全力でプレーすることは、勇気があってすごいなと思いました。  実際にシュートの体験もしました。車いすに乗ってシュートをするのは、立ってシュートする時と違って、ゴールがとても高く感じました。何回もうったけど、二回しか入りませんでした。  わたしはこの車いすバスケットボールをして学んだこと、感じたことが二つあります。一つ目は、障害があってもスポーツができることです。わたしなら身体が不自由になると、何もできないと思ってしまうかもしれないけれど、やる気になればどんなことでもできるということを学びました。二つ目は、障害者も健常者もちがいがないということです。これから障害のある方と出会うこともあると思います。でも、そのときは、おたがいのことを考えた行動ができるようにしたいです。 見えない相手 八千種小学校4年(当時)ふじもと ふうが  ぼくは、オンラインゲームをしているときに、見えない相手から、「死ね」とか「下手くそ」などとぼう言をはかれたことがあります。ぼくははらが立って、同じようにぼう言を言い返していました。ふだん、話をしている家族や友達には、ぜっ対そんな事は言いませんが、見えない相手に対しては何を言っても大丈夫だと思っていました。  ある日、テレビを見ていて、インターネットの書きこみで、いやなことを書かれて自さつする人がいるというニュースを見ました。このニュースを見て、インターネットの中で話をしているのは見えない相手ではなく、ぼく達と同じ世界に住んでいるふつうの人間なんだということに気がつきました。ぼくは、見えない相手のことを、名前も顔も知らない人で、会ったこともない『インターネットの世界だけに住んでいる人』だとさっ覚していました。  お父さんとお母さんにインターネットを使っていて、いやな思いをしたことがあるかしつ問してみました。お父さんとお母さんは、 「有名人の発信に対して、いやな気分になるコメントをよく見かける。だから、インターネットで知らない人とは関わらないようにしている。」 と言っていました。しかし、 「インターネットは、世界中の人とも関わることができるとても便利なツールで、これからもっと広がって、さらに便利な世の中になるからうまく付き合っていく必要がある。」 とも話していました。  ぼくは、これからも、インターネットの中で見えない相手と関わることがいっぱいあると思います。その時は、家族や友達と関わるのと同じようにして、見えない相手がいやな思いをすることがないように、考えて言葉を伝えたいと思いました。  インターネットの中でいやな思いをする人がいない世界になってほしいです。 --------- ポスター作品 福崎東中学校2年(当時)あだち りほ 田原小学校3年(当時)たかい かりん 福崎小学校6年(当時)ごとう みなみ 福崎西中学校2年(当時)いわさき はる ---------- 人権標語 あいさつで みんなに笑顔 分かち合う 田原小学校4年(当時)きしだ こうき 結ぼうよ 人と人との 心の糸を 福崎小学校5年(当時)にしむら かな いじめても 自分にかえる  分かるよね 八千種小学校4年(当時)にしい はると 届けよう 君の心に 「あいさつ」を 福崎東中学校3年(当時)きむら ゆうた