広報ふくさき 令和5年(2023年)12月号 11ページ ---------- 大庄屋三木家よもやま話 第87話 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう 地域連携センター共同研究報告『大庄屋三木家住宅の襖の下張文書B』 神戸大学大学院人文学研究科 特命講師 いのうえ まい  現在、福崎町では、大庄屋三木家住宅の襖の下張り文書の整理・分析を進めています。この下張り文書は、令和元年に同家が宿泊施設としてリノベーションされる際に、副屋や離れの襖から発見されたものです。このときの調査では、下張り文書だけを取り外して保管する方法をとりました。襖の枠やしたじぼねはそのまま宿泊施設のたてぐとして再利用されているため、今では見ることができません。  今回は調査の際に撮影した写真を通して、下張り文書のさらにその下を覗いてみたいと思います。  写真は、離れに使用されていた襖の下張りを剥がしたものです。木枠には「西ヨリ四」(西側から数えて4枚目)と書かれています。襖を仕立て直したときに、戻す場所を間違えないための書付と考えられます。木枠の内側は細い木材を組み合わせて格子状にしています。ここに、「骨縛り」「胴縛り」「蓑掛け」等の様々な貼り方で紙の層を重ねていくことで、丈夫な襖が作られていきます。ちなみに、この襖は片面8層の下張りが貼られていました。  引手のところには、引手板がはめ込まれ、引手の形にそってくりぬかれています。この襖は、表面と裏面で引手の形が異なっています。裏面は丸形の引手が収まるように、別に木で作った丸い枠が取り付けられています。  このほか、下地骨の中には、焼け焦げの跡が残っているものもありました。現在残っている資料や、建造物の調査からは、三木家住宅が火災に遭ったような形跡は見当たりません。ですから、このときは襖が焦げたぐらいで済んだのでしょう。もし発見が遅れていたら、今私たちが知っている三木家住宅はなかったかもしれませんね。  なお、こうした焼け焦げができた場合や、何かぶつかって破損したといった場合でも、下張り全体を張り替えるのではなく、傷んだ部分だけを切り取って張り直す、という方法がとられたようです。  今回紹介した襖は、離れのうち西側の「新座敷」と「おへや」の間仕切りとして使用されていました。この部屋は客間として使用されることもあり、このためか襖も丁寧に仕立てられています。一方で、押し入れの引き戸などに使われている襖の場合、人目につかない裏面は下張りも薄く、ときには表紙を貼らずに下張りがむき出しになっているものもありました。  下張り文書の内容を解読することも大切ですが、このように下張りそのものや下地骨を観察することも、小さな三木家の歴史発見につながるのです。 写真=下張りを剥がした後の襖の外枠と下地骨 写真=引手と引手板 写真=傷んだ部分だけが張り替えられている下張り