広報ふくさき 令和6年(2024年)1月号 8ページ ----- ふくさきの身近な文化財 その1 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう 区有文書から見る地域の歴史1 中島区有文書「中島村村内節約規約書」 神戸大学大学院人文学研究科 特命講師 いのうえ まい -----  福崎町には今でも多くの歴史資料が残っていて、私たちが地域の歴史を知るための手助けをしてくれます。そうした歴史資料の中で、各地区で管理され、引き継がれてきた資料を「区有文書」と言います。地域によっては「自治会文書」「区長文書」などと呼ばれるものもあります。  各地区に残る区有文書の点数や種類は様々です。江戸時代からの文書も含めた膨大な点数の文書を持っているところもあれば、明治時代以降の最低限の資料だけを引き継いでいるところもあります。土地関係や会計、用水、祭礼など、村の運営に関わるものが残っていることが多いようです。他の地域には同じ内容の資料はありませんから、区有文書は地域の歴史を知るためのとても大切な資料なのです。  福崎町と神戸大学大学院人文学研究科地域連携センターでは、現在町内の区有文書の調査を進めています。今回は平成30年度から令和4年度にかけて地域の皆さんと整理作業を続けてきた、中島区有文書から「中島村村内節約規約書」を紹介していきます。  この資料は、ガリ版で印刷したものを二つ折りにして束ね、端をホチキスで留めて冊子にしています。おそらく同じ物が、中島の各戸に配布されたのでしょう。表紙に書かれた情報から、昭和6年のものとわかります。  表紙をめくると、まず規約書を作った理由が次のように書かれています。  近頃の世界的不況に伴って、我が国の不景気も深刻化し、私たちの生活に脅威を及ぼしています。特に、昨年末から中島村の主要産物である米・麦・かますなどをはじめとして、産物の価格が下がったことにより、農村は今や滅亡しようとしています。この対策として、日常生活において節約をするのはもちろん、村民相互の交際や、日頃の習慣上の好ましくない風習を改めることが喫緊の課題です。このため、左の事項について、村内一致の決議により(節約を)実施します。  1929年(昭和4)のアメリカの株の大暴落を皮切りに、「世界恐慌」とよばれる全世界的な不景気状態が起こり、翌年以降、その影響は日本にも及びます。「昭和恐慌」と言われるこの不況の影響を最も強く受けたのは、農村部でした。神崎郡周辺も例外ではありませんでした。『福崎町史』によれば、昭和4年から5年にかけて米・麦の値段が6割から7割近くにまで下がり、神崎郡の特産品であるかますやむしろの価格も暴落。またこの年は、不況に加えて降雹被害もあったこともわかっており、周辺の村々には試練の年であったようです。  さて、それでは実際にどのような方法で節約をしようとしたのでしょうか。規約は、@年賀等の贈答、A婚礼調度、B出産、C葬式・法事、D(軍隊への)入退営、E家屋の建築等、F飲食物、G服装・装身具、H寄付・勧進・興行、I道路・水路の愛護等、J村内集会、の11の項目に分かれ、それぞれに細かい規約が定められています。いずれにも共通しているのは、宴席を質素にすること、行事の際の服装を簡素化すること、贈答品はなるべく廃止することです。  例えば@では、年玉・歳暮・中元は廃止すること、病気や火事の見舞いの品は、実用品を送ること、などとあるほか、村内での贈答品の金額は15銭以内とすることが書かれています。当時、酒一升が約2円でしたから、この額は相当切り詰めた値段であることがうかがえます。  Fには、小学校の旅行や運動会の折に、巻き寿司などのごちそうを作って競ったりせず、握り飯にすること、と見えます。また末尾には、これらの規約を破った場合には20円の違約金が徴収される、と記されています。  このほかにも様々な節約規約が記されていますが、この資料の言わんとするところは、皆で節約して不景気を乗り切るというよりもむしろ、皆が同じような生活をすることで村内の経済格差を見えなくして、不要のトラブルを避けるため、という意味合いが強いように思われます。  ちなみにこの資料の表紙の見返しには、共存、共栄、互譲を旨とし、村内平和に暮らしましょうという一文が記されています。 写真=「中島村村内節約規約書」表紙