広報ふくさき 令和6年(2024年)2月号 6ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 ---------- 人権作文 学び続ける 福崎東中学校1年 にしだ しょうせい  八月六日は何の日でしょうか。一月十七日は何の日でしょうか。  八月六日は、広島市に原子爆弾が落とされた日です。一月十七日は、阪神淡路大震災が起こった日です。どちらも忘れてはいけない日だと思います。  ぼくは小学二年生まで、広島市に住んでいました。三年生になる時に、兵庫県に引っ越してきました。広島の学校では、八月六日は平和について考える日ということで、登校日になっていました。平和記念式典をテレビで観てから、平和学習の時間がありました。その日以外にも、広島市について、原爆について、そして平和について、見たり聞いたり、考えたりするさまざまな機会がありました。  けれど、兵庫へ来てからはそれがありません。八月六日にテレビでニュースを見ることはあっても、学校で勉強することはありませんでした。反対に、兵庫では一月十七日に地震を想定した避難訓練がありますが、広島はありませんでした。  あってはならないことが起こった地域ではそれを忘れないように特別な取り組みを行っていますが、他の地域ではあまり行っていないのだと、初めて思いました。そして、三月十一日の東日本大震災は、今でもニュースでは見るけれど、兵庫でも広島でも特別な勉強はしていないなと思いました。  戦争も災害も忘れてはいけないことだと思います。けれど、どうやって忘れないようにするのか、とても難しいことだと思います。  ニュースで知ったことですが、広島の小学生に原爆が落とされた日時を聞く調査では、正答率が低くなってきているそうです。ぼくも「八月六日」とすぐに答えられますが、「一九四五年八月六日午前八時十五分」と正しく言えなかったり、長崎に原爆が落とされた日時と混ざってしまっていたりして、忘れてきているなと思うことがあります。小学四年生のときに、兵庫県について勉強をしました。昨年、四年生だった弟の社会のテストには、阪神淡路大震災の日時を問う問題がありました。日時を覚えて、亡くなった人たちを供養したり、当時のことを振り返ったりすることは大切なことだと思います。けれど、それだけでは足りないなとも思います。忘れないようにするだけではなくて、今や未来の生活につなげる努力をしていくことが大切だと思います。  ぼくの父は兵庫県出身ですが、阪神淡路大震災の被災者ではありません。震災の記憶は、テレビや新聞で見た衝撃的な映像や写真によるものがほとんどだそうです。衝撃は忘れないためのきっかけになると思います。  ぼくも原爆ドームに行った時のことや、原爆資料館で見たものは、小さい頃のことですがよく覚えています。八月六日の平和記念公園には独特の雰囲気があり、誰もが平和を願っているのだと思えました。  直接見たり聞いたりしたことは覚えやすく忘れにくいです。だからこそ経験が重要になってくると思います。平和学習でも被爆された方のお話を直接聞くことがありますが、生の声は感じるものが違います。テレビの特集でもよく取り上げられます。けれど、その方たちは亡くなっていきます。若い人たちが伝えていけばよいと思うかもしれませんが、簡単なことではありません。  ぼくは学び続けることが必要だと思います。勉強も一回しただけで、その後何もせずにいると、忘れやすいです。だから繰り返し問題を解きます。これと一緒です。忘れないために学び続ける。これこそが一番大切だと思います。  できるだけ直接見たり聞いたり、実際の声を聞くことを意識しながら学び続ければ、悲劇を繰り返さない行動をとることにつながると思います。 ---------- ポスター作品 福崎小学校1年 もりした しょうえい 八千種小学校1年 たまおき はるや 田原小学校1年 ひより たくま 福崎西中学校1年 ごとう みなみ ---------- 人権標語 ほほえみで 心の中に 虹をかけよう  福崎小学校6年 にのみや はるか 「ごめんなさい」 言える勇気と 許せる心  田原小学校6年 はにおか まよ 友だちと にっこりわらうと しあわせです  高岡小学校2年 すぎもと はじめ 気付いてる? 笑顔の裏に 隠れる涙  福崎東中学校1年 おおしま りのあ