広報ふくさき 令和6年(2024年)3月号 10ページ ---------- 福崎町文化財だより(85) 2ページ目 ---------- 歴史民俗資料館だより 昭和の流行「パーマ」  本年度特別展「神崎タイムスにみる福崎 広告編」において、パーマに関して取り上げましたので、その一部をご紹介します。 大正時代に日本で登場したパーマは、戦後再び流行しました。タイムス紙面でも郡内48店の美容院・理髪店の広告が掲載されました。福崎地域の店舗においては28店が掲載され、うち14店は新規開店案内の広告で、流行した様子がうかがえます。  昭和26年には、神崎郡内のパーマネント美容院の人気投票が行われました。主催した神崎タイムス紙面に投票用紙が印刷され、約二か月半にわたって競い合い、白熱した様子は記事でも報じられました。結果は、13,550票を得て、オリオン美容室(新町)が一位となりました。  当時、パーマは着物と洋服のどちらにも合う髪型として人気を集めていたようです。 写真=当時のパーマヘア 写真=美容院人気投票!!昭和26年9月25日発行 写真=年別理髪料金一覧表 ---------- 記念館だより 松岡家資料紹介  令和5年度秋季企画展「松岡操・たけ展〜松岡五兄弟を育てた夫婦〜」でご紹介した資料について、より詳しくご紹介します。 「操 辞令書」  画像は、「第一番学区北条小学校補助員申付候事 但月給六円支給候事」との内容で、明治18年(1885)1月に、加西郡役所より柳田國男の父・操へ交布された辞令書です。  神戸師範学校を卒業したばかりの教員の初任給の最高値が18円であったことを考えれば、月給6円という額は決して大きいものではなかったことが分かります。  松岡家は同じ年の1月頃に、福崎からたけの実家がある現加西市北条町へ移住しました。当時の北条の地図には「八畳一間松岡操」の記述が見えます。「日本一小さい家」14畳の柳田國男生家よりも更に狭い空間に一家5人が暮らすこととなりました。 写真=「操 辞令書」(明治18年) 「國男 証書」  父の務める小学校で、國男は優秀な成績を修めました。画像は、國男の北条小学校高等科第四級での卒業証書です。 「小学校高等科第四級修業候事」 と記されています。  この年國男は北条で、「おそらく日本における飢饉の最後のもの」を目撃したと語っています。その経験は、國男が大学で農業政策の研究を志す大きな動機となったことが知られています。  國男が辻川の大庄屋三木家へ預けられたのは、この翌年のことになります。 写真=「國男 証書」(明治18年)