広報ふくさき 令和6年(2024年)3月号 11ページ ---------- 福崎町文化財だより(85) 3ページ目 ---------- 令和5年度埋蔵文化財発掘調査速報  今年度も高岡福田地区ほ場整備事業に伴う発掘調査を行いました。  観音堂遺跡と宮ノ前遺跡の調査で古墳時代から近世の遺構を調査しました。  古墳時代後期の方形の竪穴住居5棟を検出しました。竈を作り付けた住居が2棟ありました。  奈良時代の遺構は掘立柱建物で観音堂遺跡10棟、宮ノ前遺跡8棟以上を確認しました。建物の主軸が2種以上あることから時期差があることは確実です。方形の大きな柱穴を持つ建物もあります。焼土を伴う土坑が多く見られていましたが、今回鉄生産を行った鍛冶炉が観音堂遺跡で見つかりました。  中世の掘立柱建物も5棟以上調査しました。2間の回廊状の建物は特殊で注目されます。新しい遺構は小さな水田群で効率が悪いと思われますので、苗代用かと思われます。  観音堂遺跡8区では9月30日(土曜日)に現地説明会を開催し見学いただきました。 写真=観音堂遺跡での発掘調査 写真=現地説明会のようす ---------- 松岡五兄弟 第76話 かなえ・みちやす・くにお・しずお・てるお 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう   松岡五兄弟の筆跡 神戸大学大学院人文学研究科 特命講師 いのうえ まい 私たちが地域の歴史を知るためには、地域内外に残された関連資料を読み解く必要があります。その際、私たちの前に立ちはだかるのが手書きの文字です。  令和4年度より、福崎町と神戸大学大学院人文学研究科地域連携センターでは、共同研究の一環として、松岡家から三木家に宛てられた書簡の調査に取り組んでいます。しかし、達筆すぎる兄弟たちの文字に解読を阻まれ、日々頭を抱えています。今回は私たちを悩ませる五兄弟の筆跡を少しだけご紹介。 写真は、松岡五兄弟から三木拙二に宛てられた葉書の宛名部分。右から鼎・通泰・國男・静雄・輝夫の筆跡です。こうして並べてみると、兄弟であっても筆跡にはそれぞれ個性があることがわかります。  鼎の筆跡は文字の大きさも揃っており、いわゆる「くずし字」ではありますが、丁寧にきっちり書いているという印象を受けます。  通泰は文字を続けて書くことが苦手だったようで、多くは活字のように一文字一文字離して書いてあります。また大きく崩した字を書かないので、他の兄弟に比べると読みやすい字といえます。  兄弟たちの中でも特に個性的な文字を書くのが、國男と静雄です。國男の文字は他の兄弟たちと比べると極端に右肩上がりです。癖がある上に文字も大きくくずしているものが多く、目が慣れるまで何度も読み返す必要があります。  静雄の筆跡もこれまた個性的です。文字は少し丸みを帯びていて、大きさも揃っており、一見読みやすそうに見えます。が、いざ読もうとすると何を書いてるのかわからな いことが多く、静雄の書簡の解読はついつい後回しになりがちです。 個人的に一番読みやすいのは、輝夫の筆跡。文字は美しく、行間もゆったりとしています。画家としての美意識はこういったところにも現れるものなのでしょうか。 松岡家の未読の書簡はまだたくさん残っています、次年度以降も解読を続けて、その成果を皆さんにお伝えしていきます。 写真=松岡五兄弟から三木拙二に宛てられた葉書の宛名部分。右から鼎・通泰・國男・静雄・輝夫の筆跡。