広報ふくさき 令和6年(2024年)3月号 9ページ ---------- 福崎町文化財だより(85) 1ページ目 ---------- 文化財再発見60 福崎町と災害〜昭和8年の大降雹〜 1、戦前最大の災害  福崎町域の自然災害としては風水害が多く、明治時代には防災対策が十分でなかったこともあって、連年のように洪水が発生していたことが『神崎郡誌』に記されています。なかでも、戦前最大の災害は、昭和8年(1933)6月14日の大降雹でした。  雹は直径5ミリ以上の氷の粒で、落下の衝撃で大きな被害をもたらすことがあります。この時には4、5センチもの雹が降ったと言われます。翌日の『神戸新聞』は7段ぬきの大見出しで「突如物凄い雷雨を伴ひ 大旋風暴威を揮ふ 死傷者三百余ー家屋の倒壊算なし」と、想像を絶したこの災害を報じました。 写真=大降雹により被害を受けた田原小学校(昭和8年)(歴史民俗資料館蔵) 2、松岡静雄・輝夫(映丘)の葉書  先日、三木家の資料調査の中で、柳田國男の弟の松岡静雄と輝夫の葉書が新たに発見されました。9代当主三木拙二に宛てたもので、いずれも大降雹の被害について心配する葉書です。この災害の直後に送られています。  輝夫の葉書では「本日(6月15日)の夕刊」で「大暴風にて被害甚大」であると知り、拙二宅は大丈夫だったかと見舞いが述べられています。  当時、静雄は神奈川県、輝夫は東京に住んでいましたが、故郷を襲った大きな災害に心を痛めたのでしょう。 写真=三木拙二宛松岡静雄葉書(昭和8年) 写真=三木拙二宛松岡輝夫葉書(昭和8年) 3、被害の状況  被害の中心は田原村でしたが、八千種村・福崎町も相当な被害を受けました。  『神戸新聞』によると、福崎町域で全壊・半壊・屋根を飛ばした家屋は四百戸以上。吉田区では三十八社の本殿が倒壊し、福崎小学校のガラス窓は全部破壊されたと伝えられました。  また、建物だけでなく農作物も大きな被害を被りました。特に収穫時期を迎えていた小麦は全滅したと申告した農家が百軒に近く、この雹害のすさまじさを物語っています。特にハ千種村では昭和8年の小麦収穫高が前年のわずか8・1パーセントに激減しました。 4、八坂神社の千年松  約90年前の大降雹を今に伝える歴史遺産が、八反田区の八坂神社に残されています。  この災害により、樹齢千年ともいわれ、村のシンボルだった大老松が倒れてしまいました。その根株は現在、当時の惨害を忘れないよう地元の方々の手により覆い屋がかけられて保存され、被害の大きさを私たちに教えてくれています。 写真=千年松の切り株(八反田区) 「雛人形展」3月24日(日曜日)まで開催中 ■会場 三木家住宅主屋 ※土・日曜日、祝日のみ開館 ■開館時間 午前9時から午後4時30分(入館は午後4時まで)