広報ふくさき 令和6年(2024年)4月号 21ページ ---------- 第一弾 福崎と遠野  福崎町の友好都市、岩手県遠野市です。令和6年8月で福崎町との友好都市共同宣言から、10周年を迎えます。  このたび、誌面をお借りして、今月から全5回の連載により、遠野市の紹介をさせていただくことになりました。 遠野市の概要  遠野市は、東西、南北ともに約38キロメートル、総面積は825・97平方キロメートルとなっています。  岩手県を縦断する北上高地の中南部に位置し、内陸と沿岸を結ぶ交通と産業の要衝にあり、標高1917mのはやちね山を最高峰に、標高300mから700mの高原群が周囲を囲み、市域の中央部の遠野盆地に市街地を形成しています。  冷涼な気候と豊かな自然環境を生かした農林畜産業を基幹産業とし、水稲を中心に、野菜やホップ、花などの農産物と畜産を組み合わせた複合経営がされており、日本一の乗用馬生産地として知られております。  四季が織り成す豊かで美しい広大な自然は、日本の原風景として全国の多くの人々に親しまれており、「永遠の日本のふるさと遠野」を市のキャッチフレーズにしています。 写真=高清水展望台からの市街地全景 柳田國男と『遠野物語』  豊かな自然を今も残す遠野の文化の根底には、明治43年に誕生した『遠野物語』があります。  『遠野物語』は、遠野の地勢にはじまり、神々の由来、天狗や河童、ザシキワラシ、魂の行方、神隠しやわらべ歌など、遠野に伝わる不思議な話が119話にまとめられています。このような民話の舞台となった地域が、現在も市内各地に残っており、遠野の観光資源としても大きな役割を果たしています。  この『遠野物語』を発刊した人こそ、福崎町出身の日本民俗学の父柳田國男になります。  柳田國男の縁により、福崎町と遠野市は友好都市となり、福崎秋まつりや遠野市産業まつりへの出店を通じ、特産品の販売やPRを行う等、交流を続けてきました。 写真=柳田國男  柳田國男は、農商務省に入省後、農村視察・調査体験や遠野市出身の佐々木喜善との出会いなどをきっかけに、風俗・文化の中から日本人の特質を求める学問を志すようになりました。  明治43年に発刊された『遠野物語』は、日本民俗学の出発を告げる記念碑ともなりました。 写真=佐々木きぜん  佐々木きぜんは、明治19年に遠野市に生まれました。早稲田大学在学中に柳田國男と出会い、遠野の話を伝えました。それが遠野での「目前の出来事」、「現在の事実」として『遠野物語』に結実しました。  佐々木きぜんが民俗学に果たした大きな業績は昔話の採集で、その先駆的な業績から、おりくち しのぶのぶおやきんだいち きょうすけは、佐々木きぜんを「日本のグリム」と讃えています。 『遠野物語』の世界  119話のうちの一話を、口語訳してご紹介します。 第八話 黄昏時に女性や子どもが家の外に出ていると神隠しにあうのは、他の地域でもあること。松崎村のさむとという所の民家で、若い女性が梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方知れずとなった。三十年余り過ぎたある日、親戚がその家に集まっていると、行方不明になった女性が年をとった姿で帰ってきた。親戚が「どうやって帰ってきた。」と聞くと、女性は「皆に会いたかったので帰ってきたが、また行かなければいけない。」と再びいなくなってしまった。その日は風の激しく吹く日であった。遠野の人は、今でも風の激しい日は「今日はサムトの婆が帰ってきそうな日だ。」と言う。  このように『遠野物語』は、現在も残る集落や実在した人物が登場する話を集めた民話集です。そのため、現代の遠野に生きる我々遠野市民にとって身近な存在でもあります。  今月は福崎と遠野の関係をお伝えしました。次号から、遠野の魅力をお伝えいたします。お楽しみに。 (遠野市役所観光交流課)