広報ふくさき 令和6年(2024年)11月号 10ページ ---------- 福崎町文化財だより(86) 2ページ目 ---------- 大庄屋三木家住宅 特別展示 大庄屋のお仕事 姫路藩辻川組 三木家の奮闘 大庄屋って?どのような「お仕事」をしていたの?  三木家は、元文2年(1737)、3代よしまさのときに辻川組の大庄屋になりました。村々を統括する大庄屋の仕事は多岐にわたりますが、組内を円滑に治めるために、どのような仕事があったのでしょうか。  本展では、幕末に至るまで6代にわたって姫路藩の大庄屋を務め、地域の発展に大きく貢献した三木家の「お仕事」について紹介します。 入館無料 12月1日(日曜日)まで開催! 会場:三木家住宅 主屋 開館時間:午前9時から午後4時30分(入館は午後4時まで) 休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日 写真=8代つうさいが使用したと伝わるかご駕篭 ---------- 歴史民俗資料館だより ---------- 令和6年度特別展 福崎の交通変遷 12月8日まで開催 柳田國男と人力車  現在、歴史民俗資料館では、福崎のさまざまな交通機関を取り上げ、その変遷に注目した特別展を開催しています。  今回は展示の中から、「人力車」について紹介します。  人力車の車体は、現在も黒を基本とするものが多くありますが、初期は朱塗りや蒔絵が施された華美なものが製造されていました。これらは福崎地域においても見られ、柳田國男の著書『故郷七十年』の中でも語られています。  著書では、幼いころ弟の静雄・輝夫と一緒に、人力車の背面に描かれた武者絵を鑑賞したと述べています。この経験は、のちに「映丘」の雅号で日本画家となる輝夫の創意に影響を与えたと國男は考えていました。  しかし、明治19年(1886)に施行された「営業人力車取締規則標準」において、「車体は無地漆塗」と規定されることになりました。  神崎郡内では、人力車は明治10年頃に見られるようになったと言われています。國男と弟たちの経験は、黒塗りになるまでの約10年の短い間でしか見られない貴重な光景だったと言えるのかもしれません。 写真=人力車の写真 『わたしたちの郷土ふくさき』(1977)より 黒塗りの人力車です。一人乗り用で、引手の部分には、ベルが付けられています。