広報ふくさき 令和6年(2024年)11月号 11ページ ---------- 松岡五兄弟 柳田國男 第79話 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう 『柳田國男のヨーロッパの旅@』 神戸大学大学院人文学研究科 特命講師 いのうえ まい 大正8年(1919)に貴族院書記官長の職を辞した柳田國男は、大正9年から10年にかけて、佐渡島を皮切りに、東北、東海、近畿、中国、そして九州、沖縄をめぐる旅にでます。(このときの旅の様子については、現在、柳田國男・松岡家記念館で開催中の秋季企画展「柳田國男の旅【秋風帖・雪国の春・海南小記】」で詳しく紹介されています。) この旅の途中、大正10年2月のこと。沖縄の旅を終え、九州各地で講演をしていた國男のもとに、一通の電報が届きます。それは、國男に国際連盟委任統治委員の就任を求めるものでした。 「委任統治」とは、第一次世界大戦の後に、国際連盟の委任という形で、イギリス・フランス・日本などの戦勝国が、ドイツなどの敗戦国の植民地を統治した制度のことです。委任統治委員は、受任国(委任統治を担う国)が提出する年報を審査し、国際連盟の理事会に意見を述べる役割がありました。それまで外交とは無縁であった國男が委員に選ばれたのは、当時親交があり、国際連盟の事務次長であった新渡戸稲造の推挙があったともいわれています。 悩んだ末、この任を引き受けることにした國男は、慌ただしく渡欧の準備を進め、5月9日に、横浜から「春洋丸」という船に乗って旅立ちました。出航の前日には、三木拙二に宛てて「この春こそは三木家に伺おうと思っていたのに、ヨーロッパに行くことになってしまいました」などと書いた葉書を送っています。 さて、春洋丸はハワイのホノルルを経由してアメリカ大陸に向かいました。船は5月25日にサンフランシスコに到着。國男はシカゴ・ニューヨークなどを巡った後に、6月8日にアメリカを発ち、同月20日にフランスに到着しました。 その後、9月の上旬にスイスのジュネーブで国際連盟総会が開かれるまで、國男は精力的にヨーロッパ各国を旅しています。行き先は実に様々で、博物館に行くこともあれば、友人らと山登りをすることもあり、現地で読み切れないほどたくさんの本を買うこともあったようです。また、訪れた土地の様子や日々の出来事をしたためた葉書を何通も、家族や知人に宛てて送っています。 初めての欧米の旅を、國男は楽しんでいるようにみえます。それでも、言葉についてはだいぶ苦労したようで、 「ときどきは、ひとりごとでもいいから思いきり日本語でしゃべってみたいという気がしたこともあった」(『故郷七十年』「ジュネーヴの思い出」)と述懐しています。  9月上旬から10月上旬にかけて、國男は国際連盟総会を傍聴したり、委任統治委員会に出席したりと、本来の職務に邁進します。それを終えた後、日本に向かう船が出航するまでの間の数日間、南フランス周辺を巡り、10月25日にフランスのマルセイユから出航。今度はインド洋経由で日本に向かい、12月8日に神戸港に到着しました。 大正10年の、國男のヨーロッパでの滞在先(『柳田國男全集』別巻1「年譜」)より作成 6月20日 フランス(ブローニュ、パリ) 7月11日 フランス→スイス(ジュネーブ) 7月24日 スイス(ローザンヌ) 8月6日 スイス(チューリッヒ) 8月7日 スイス→オーストリア(ウィーン) 8月11日 オーストリア→チェコスロバキア(プラハ) 8月13日 ドイツ(ドレスデン) 8月14日 ドイツ(ベルリン) 8月16日 オランダ(デン・ハーグ) 8月20日 オランダ→ベルギー(ブリュッセル) 8月22日 ベルギー→イギリス 8月31日 イギリス(ロンドン)→フランス 9月4日 フランス→スイス(ジュネーブ) 9月上旬から10月上旬 国際連盟総会の傍聴、委任統治委員会への出席など 10月16日 フランス(リヨン、マルセイユ) 10月17日 フランス(プロバンス地方) 10月19日 フランス(パリ) 10月21日 フランス(コート・ダジュール)