広報ふくさき 令和6年(2024年)11月号 9ページ ---------- 福崎町文化財だより(86) 1ページ目 ---------- 柳田國男・松岡家記念館だより 柳田國男・松岡家記念館 秋季企画展 柳田國男の旅 〜しゅうふうちょう・雪国の春・かいなんしょうき〜 12月8日(日曜日)まで開催 福崎町名誉町民柳田國男  柳田國男は明治8年(1875)に現在の福崎町西田原で生まれました。  12歳で兄に連れられて上京後は、その兄の紹介で森鴎外と出会いました。また歌人松浦萩坪に師事して後に文学者として知られることになる田山花袋と出会い文学に興味を抱いて島崎藤村らと交流しました。しかし、その後は農政学を志し、東京帝国大学を卒業と同時に農商務省へ入って官僚として日本各地を視察しました。その旅路で各地に残された伝承や風習と出会い、その違いや意外な共通点に着目したことが、日本独自の視座をもつ民俗学を拓くきっかけとなりました。  大正8年(1919)の12月、國男はより自由に全国を見聞する環境を求めて貴族院書記官長を辞し、朝日新聞社の客員に迎えられます。東北から沖縄まで津々浦々を実際に見て歩き、地域の人々の日々の生活に踏み込んだありのままの姿を紙面へ届けました。  同社を退職後は、伝承記録の集成や発信のために雑誌を創刊し、後進の育成や教育の発展に寄与しながら、日本民俗学の確立に尽力しつつ、多くの著書を通じて広く世に問を発し続けました。その功績をたたえられ、昭和26年(1951)には文化勲章を受章し、最晩年となる同37年(1962)には、福崎町名誉町民第一号となりました。 「同情」の学問  「誰もが省みなかった処」を実際に見て歩くことを信条とした國男でしたが、その志は10歳のとき、現在の福崎町北東部の日光寺山山頂から初めて海を見たときに抱いた、「方々の海を見てあるこう」という決意に始まっています。  12歳で故郷を離れ、46歳では平和条約実施委員としてヨーロッパ・アメリカへ旅立つこととなった國男の旅は、88年の生涯で百回以上にも及んだといわれています。その訪問先の多くは観光地や景勝地ではない場所で、國男はその土地の人々に「同情」の心をもって触れ合うことを心掛けてけていました。この「同情」とは“ 調査を行う土地の人々の気持ちを思いやり、人々と同じ気持ちになる”という意味で、國男の数多くの新聞・雑誌への紀行文や著書は、そうして行われた調査を基に生み出されたのです。  本展では、柳田國男の著作の中から、朝日新聞社客員時代に経験した旅を記録した代表的な紀行文である『しゅうふうちょう』『雪国の春』『かいなんしょうき』の三作を取り上げ、「同情」ある旅の学問として、官製の農政学から土地の人々へ寄り添う民俗学への転換点となった大正9年から10年の「柳田國男の旅」を読み解きます。 企画展パンフレットを200円で販売しています。 ◆講演会のご案内◆  本年度も、柳田國男・松岡家記念館顧問で東京学芸大学名誉教授の いしい まさみ先生に、ご講演いただきます。 ●11月16日(土曜日) ●午後1時30分から ●神崎郡歴史民俗資料館 2階 開館時間:午前9時から午後4時30分 入館:無料 休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日 問合せ先:電話22−1000