広報ふくさき 令和8年(2026年)3月号 6ページ ---------- ヒューマンライツ イン 福崎町 ---------- 人権作文 友だちのやさしさ 八千種小学校3年 にしい みなと  ぼくの学校には、やさしい友だちがいます。ぼくが一人でひまなときに、友だちが声をかけてくれます。友だちと遊びたいなと思うときに、声をかけてくれると、いっしょに遊べてワクワクして、うれしい気持ちになります。声をかけてくれた友だちも、うれしそうにわらってくれます。ドッジボールをするとき、まなとさんやしょうたさんが、いつもさそってくれます。やり始めると、やっぱり楽しいです。ボールをなげるときは、「当てるぞ」と、やる気が出ます。ボールがとんでくると、キャッチしようかな、よけようかな、と思いながら遊びます。さそってくれたまなとさんやしょうたさんといると、「友だちっていいな」と、思います。  きゅう食のときに、ぼくが食かんのかたづけにこまっていると、すみれさんがすぐにたすけてくれます。じゅんびがおそくなったときには、おしる当番のこうきさんが四角かんのじゅんびを手つだってくれました。 「ありがとう。」 とつたえると、友だちもうれしそうにしてくれました。ぼくは、たすけてくれた友だちに、何かお手つだいはできないかとさがしています。ぼくからみんなへ遊びにさそいに行ったり、こまったことがあれば、たすけたりしたいです。また、やさしいみんなにできるお返しとして、みんなをえがおにしたいです。おもしろいことや、まんざいなどのものまねをしたり、すきなことについて話をしているときに、もりあげたりして、友だちといっしょにいる時間を楽しみたいです。  ぼくのまわりには、やさしさがいっぱいあり、学校はとても楽しいです。一人ひとりちがうやさしさがあります。遊びにさそってくれるやさしさや、こまっているときにたすけるやさしさや、友だちと楽しい話をしてえがおにできるやさしさなどがあります。  これからの生活で、いろいろなやさしさに気づきながら、ぼくのまわりからえがおをふやしていきたいです。 ---------- 普通じゃない人ってどんな人 福崎西中学校2年 みつもり のい  どんなに「普通」に産まれても、自分の意思に関係なく障がいを持って産まれてしまう人がいる。そういった人たちと向き合い、理解し合うことが大切であると私は思う。  そもそも普通とは何だろう。普通とは世間一般の意見のことを言う。例えば、目が見えること、自分の足で歩けること、音が聞こえること、会話ができること。このようなことに疑問を持たずに生活できている人が、一般社会における普通の人であると考える。  このように障がいが無い人が普通で、障がいがある人が普通ではない、という先入観がつくられてしまうと思う。そうなると普通じゃない人は「可哀想」と思われてしまう。そういうとき、あなたが可哀想と思うのはどのような場面だったかを考えてみてほしい。人によるかもしれないが、そのように思うときは大抵「普通とは違うことが起きたとき」ではないだろうか。だけどそれは、あなたの普通を基準にした可哀想だ。本人はそれが普通なのかもしれないし、「可哀想」だなんて思ってないもしれない。このように、自分の普通を基準にしてしまうのは、自分の普通を他人に押しつけていることにはならないだろうか。  ここまで普通とは何かについて考えたが、今、当たり前にできているその普通は、皆同じなのだろうか。そして、その普通は、ずっと変わらず当たり前にできるものなのだろうか。例えば前までは、自分の足で歩けていても、事故に遭って歩けなくなることもあるだろう。当たり前に出来ていたことでも急にできなくなることもある。このように普通はずっと変わらず当たり前ではないのだ。それは障がいや事故などに限らず、日々の生活でも、周りの人より何かするのが苦手な人も、普通とは異なるのではないかと考える。  そう考えると、私は普通ではないのかもしれない。なぜなら、何をするにも周りの人の何倍も時間がかかるし、言われたこともすぐに忘れてしまうからだ。だから頼まれた用事などはメモしておかないと、数分後には頭から消えてしまうことがある。そんな自分が、私は大嫌いだ。そのせいで家族や友人に怒られる度に、「ああ、またやってしまった」と、自己嫌悪に陥る。  私にとって、他の人が一時間で終わるものが、何時間もかかってしまった挙句、終わらない、というのは日常茶飯事だ。私の生きている周りの全てが、私の上手くいかないことのせいで止まってしまうのだ。  どうして私はいつもこうなのだろうか。何度もしている作業で、慣れているはずでも速くすすめることはできず、終わらない。なんとか私は私の思う普通に近づけようとしてみたり、周りの人に合わせようとしてみたりもした。けれどそれは、自分らしさを消してしまいがちだ。そこで私は普通という言葉は、正しい道を歩んでいけるようにするための基準だと考える。それと同時に、「らしさ」を奪い、蓋をしてしまうものにもなると思うのだ。  今、できないことに向き合いながら、少しずつ私のペースでできるようになればいい。できるだけ普通に沿いながら、でも「らしさ」は失わずに、思い描く未来を実現させたい。そして普通にとらわれて、他の人を「普通じゃない」とかではなく、みんなそれぞれ一人ずつ違うということを理解して、差別なくみんなが楽しく暮らせるようになってほしい。そのためには、障がいに限らず周りの人より何かが、苦手だったり、できなかったりする人たちのことを理解し、向き合うことが大切だと思う。  世の中には、たくさんの人がいて、その人たちは皆違う。話すのが得意な人、走るのが得意な人、新しいことを覚えるのが得意な人、本当にたくさんの人がいて、その逆も然り。  皆は、得意・不得意なことがあるだろう。それは個性だと理解し、協力するために不得意なことがあり、欠けているんだという考え方ができたら素敵だと思う。そういう人を一人ずつ受け入れる必要があるだろう。そのためにはまず、身近な人が困っていたら声をかけて、理解してくれる人が増えたらいいと思う。 --------- ポスター作品 福崎小学校3年 おかもと かおる 田原小学校5年 こまつ れいな 福崎東中学校2年 うえだ あいり ---------- 人権標語 やさしさで みんなの元気を とりもどそう  福崎小学校2年 ハリス こうき 助けあい やさしい世界 つくろうよ  田原小学校4年 なみぐち たいし その発言 相手は一生 消えないよ  福崎東中学校2年 たかい しゅん 認めよう それぞれの色 自分色 福崎西中学校3年 おさき りおん ---------- 食育通信 福崎東中学校の食育に関する取り組みについて  月に1回『お残しはゆるしまへんデー』を設けています。その日の給食について、「均等に配膳できているか」「食缶に食べ物が残っていないか」「牛乳を残さず飲んでいるか」をチェックし、残さず食べることへの意識を高めています。どのクラスも満点をめざしながら、給食をおいしく食べています。  人権意識高揚活動(わかたけ)では、福崎町いずみ会のみなさんにご協力いただき、食育講座を実施しています。今年は「もちむぎ」をふんだんに使った調理を通して、町の特産品についてより深く知る機会となりました。  また、PTA家庭教育学級では栄養士を講師に招き、食育講座を実施しました。「中学生がひとりで簡単に作れる栄養満点のレシピ」をテーマに親子での調理を行いました。 (学校教育課) 写真=調理実習のようす ---------- 町職員を講師として派遣します!『福崎まちづくり出前講座』  みなさんの「知りたいこと」「聞きたいこと」を講座一覧から選んでください。 職員がみなさんのところに出向いてご説明します。講座内容など詳しいことは総務課までお問い合わせください。 利用にあたっての注意  ○町内に在住・在勤・在学している10人以上のグループで利用してください。  ○時間は午前9時から午後9時30分までの間で、2時間以内とします。  ○開催日は、年末年始・盆を除き、平日・休日を問いません。  ○グループの代表者は、利用しようとする日の14日前までに申込書を役場総務課へ提出してください。   後日、可否を決定し、代表者に通知します。 申し込み・問い合わせ先  総務課 行政係(内線223)