広報ふくさき 令和8年(2026年)3月号 9ページ ---------- 福崎町文化財だより(89) 1ページ目 ---------- 記念館だより 令和7年度記念展報告  柳田國男・松岡家記念館では昨年10月4日(土曜日)から12月7日(日曜日)まで、4年ぶりの記念展を開催し、柳田國男生誕150年の節目を祝いました。  今回は、展示した資料のほんの一部をご紹介して、記念展を振り返ると共に、福崎町と柳田國男のつながりをご紹介します。  まずは、柳田國男の小学校時代の証書類のなかから「卒業証書」をご紹介します。  明治時代初期に学校教育について定められた学制では、子どもたちは満年齢で6歳になってから小学校に入学する制度になっていました。しかし資料@には「当三月四年六カ月」とあり、國男は明らかに6歳よりも早く入学していることが分かります。他の証書も併せて見てみると、2つの級を同時に卒業したり(資料AB)、試験で上位に入ったりしており、同級生たちよりも幼いであろう國男が優秀な成績を修めていたことが分かります。  國男が「学校に早くあげられた」理由については、長兄・鼎が昌文小学校の校長であったため、と書き残しています。(『故郷七十年』「昌文小学校のことなど」)  次は、柳田國男から大庄屋三木家9代当主へ送られた信書のなかで、明治26年(1893)8月30日付の葉書です。國男はこの年第一高等中学校合格の祝いとして京都にいた弟の松岡静雄とともに、当時姫路にいた兄・井上通泰宅に招かれた後、辻川を訪れて三木家の世話になっています。さらに生野にある祖父・真継陶庵の墓を詣で、多可にある父・操が神主をしていた神社を訪れた後、東京に帰ってからこの葉書を送りました。  三木拙二やその家族に対するお礼と、今回時間が合わず会えなかった方々によろしくお伝えください、と記しています。  最後は、辻川で活版印刷所を営んでいた後藤安次郎が寄せ書きを集めた色紙帳です。令和6年度に記念館に寄贈されました。自身の還暦祝いとして播磨出身の文化人や、大寺院の住職等にも書いてもらったものと伝わっています。  國男だけでなく、通泰、静雄、輝夫(映丘)も文章や絵を寄せており、兄弟と故郷福崎の人々とのつながりが分かる貴重な資料となっています。記念展では國男の寄せ書きをご紹介しました。  記念館ではこれからも、福崎町ならではの視点から、柳田國男をはじめとする、松岡家の功績をご紹介していきます。 資料@=証書(下等小学第八級卒業) 資料A=証書(小学中等科第五級卒業) 資料B=証書(小学中等科第四級卒業) 資料=三木拙二宛松岡國男葉書(三木家蔵) 資料=著名人色紙帳寄せ書き (右)表紙        (左)柳田國男直筆ページ