広報ふくさき 令和8年(2026年)11月号 11ページ ---------- 福崎町文化財だより(90) 1ページ目 ---------- 大庄屋三木家 よもやまばなし 92話 「かどくら」の建築年代  三木家住宅の敷地北側、酒蔵(酒造蔵)に接して建っているのが「かどくら」と呼ばれる建物です。現在は宿泊施設の客室として活用されていますが、元は道具倉庫などとして利用されていました。土蔵造りの2階建(一部平屋)で、建築年代は江戸後期といわれていました。  これまでかどくらがいつ建築されたのか、わかっていませんでしたが、令和元年度に改修工事を行った際に、天井から年代が書かれた棟札が発見されました。また、最近の調査で角蔵の建築に関する資料が見つかったことで、角蔵の建築年代がわかりました。 写真=北から撮影した改修前の「かどくら」  三木家文書の中の『諸事控四番』は、三木家7代当主・通深が天保8年(1837)から天保11年に記した大庄屋としての職務などに関する日記です。この中に角蔵建築の経緯が書かれています。  これによると、角蔵は購入費用が銀三二〇目(匁)。西谷村の平三郎から買い取った土蔵で、解体して運び、天保9年(1838)に酒蔵の北に建てられました。ただ、この土蔵は柱がとても歪んでいたので、柱はこの時まっすぐな木に取り替えられています。この普請には「弐貫五六百目」(銀二千五.六百匁程度)の費用がかかりました。  通深の父である6代通明が記した『諸事控』には文政8年(1825)に酒蔵の北の建物を「東裏」(現在の三木家住宅ともちむぎのやかたの間)へ移動したという記述があります。角蔵はこの建物がなくなり空いた場所に建てられたと考えられます。  棟札は、建物の新築や修理の際に、工事の記録や安全を祈願して棟木などに取り付ける札です。角蔵の棟札には「天保九戊戌年四月吉日」と墨書きされています。左右に見える「手置方位命(手置帆負命)」「彦狭脩理命(彦狭知命)」はいずれも建築の神様です。この棟札から、角蔵の建築を請け負ったのが北野村大工金藤佐右衛門だったこともわかりました。 写真=かどくらの天井に打ち付けられた棟札  これらの資料から、角蔵は天保9年に建てられた土蔵で、その際に柱が新しく取り替えられていたことや、建築は地元の大工が行ったことが新たに明らかになりました。 写真=『諸事控四番』