広報ふくさき 令和8年(2026年)11月号 13ページ ---------- ふくさきの身近な文化財 その2 福崎の身近にある歴史を掘り起こそう こむそうの取締り 庄地区文書から 神戸大学大学院人文学研究科 特命講師 いのうえ まい  時代劇にはしばしば袈裟を掛け、籠を逆さまにしたような深い編笠をかぶり、尺八を吹きながら周囲を徘徊する怪しい人物「虚無僧」が登場します。とはいっても時代劇の場合は、敵の動きを探ったり、暗殺のために虚無僧に扮する偽物がほとんどです。  本来の虚無僧は、禅宗の一派、普化宗に属する僧侶です。髪を剃らない半僧半俗の体で、尺八を吹いて喜捨(お布施)を請いながら全国を行脚修行していました。  しかし中には多額の喜捨や賄いを要求したり、宿泊を強要する困った虚無僧も横行していました。髪を剃って僧形になる必要がなかったこともあり、浪人や遊芸人が風体を真似ただけの似非虚無僧も多く紛れていたのです。  こうした似非虚無僧が村に来ても、本物かどうかの区別はできず、かといって無下にすることもできず、村人たちも困っていたようです。  江戸幕府は、普化宗を公認する一方、同宗の寺院に虚無僧を取り締まらせました。関西では、京の明暗寺がその責を担い、似非虚無僧対策のため、各地に取締役をおいて対応したようです。(『相生市史』3巻)  さて、今回紹介するのは、庄地区に残されていた、幕末の虚無僧の取り締まりに関する文書です。  文書の日付は「慶応寅年」(慶応2年/1866年)10月。差出は「虚無僧取糺役取締武田主計、後見武田一斎」となっています。  文書の大まかな内容は以下の通りです。 �@この度、私(武田主計)が御領分(姫路藩)の宗門取締となったので、今後虚無僧に関することは、私まで申し出てほしい。 �A虚無僧姿の者が合力(喜捨)や賄いを強要してきた場合、�@のことを伝え、それでも聞き入れないときは、その場に留め置き、私まで申し出てほしい。 �B虚無僧姿の者で争論し、怪我人が出た場合は、私まで申し出てほしい。また宗門御役所で対応すべき場合、大坂奉行所に届け出なければならないような場合でも、すべて当宗門に関わることはこちらから届出をする。右の件につき、このたび宗門御役所に届出の上、印書を差し入れたので心得ておくように。  虚無僧に関するトラブルについては、「虚無僧取糺役」が対応するので、何かあれば申し出てほしいといった内容が書き連ねられています。また「虚無僧」ではなく「虚無僧姿」という表記をしているあたり、似非虚無僧への対策を強く意識していることがうかがえます。  この文書の宛先は「庄村役人中」となっていますが、どうやらこのとき、二人は庄村だけでなく、周辺の村々にも同様の文書を配っていたようです。「姫路藩山崎組大庄屋日誌」(『福崎町史』4巻所収)の慶応2年10月18日条には、 姫路の武田一斎、同主計が、(山崎)組内の村々に「一札」を1枚ずつ持参していた。私は病気だったので長野村庄屋善二郎に取次ぎをさせた。 といった内容が記されています。この記述から、武田主計・一斎は対岸の山崎組のほうにも足を延ばしていたことがうかがえます。  こうした似非虚無僧取り締まりに関する文書は、姫路や龍野周辺でも確認することができます。  福崎町域における虚無僧の活動については、今のところ庄地区文書の1点しか確認できていないため、具体的なことはわかりません。ただこうした文書が村々に配られたことから考えると、福崎の周辺でも似非虚無僧に関するトラブルがあったのかもしれません。 写真=覚(虚無僧取締につき)庄地区文書 写真=虚無僧(『昔話稲妻表紙』(国文学研究資料館所蔵))を加工