兵庫県指定重要有形文化財 大庄屋三木家住宅

〜地域の政治と文化の中心的存在だった姫路藩の大庄屋〜

日本民俗学の父 柳田國男

柳田國男は、明治8年7月31日、兵庫県神東郡田原村辻川(現神崎郡福崎町西田原)の儒者松岡操の六男として生まれました。上京後、兄の紹介により森鴎外と出会い、松浦萩坪の門に入って歌を学びましたが、「なぜ農民は貧しいのか」という疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志しました。東京帝国大学卒業後、農商務省に入り、法制局参事官を経て貴族院書記官長となりました。官僚の職に就くかたわら、『遠野物語』など、風俗・文化の中から日本人の特質を求める学問である民俗学への道となる書を著しました。なお、明治34年、27歳のときに柳田家の養子となり柳田姓になりました。

大正8年45歳で官を辞した後、民間にあって研究に専念し、庶民の生活のなかに生き続ける信仰、習慣、伝承、儀礼、行事をたずねて全国を歩き、「民間伝承」「郷土研究」などによって後進を指導し、日本民俗学の礎を築きました。そのため、國男は「日本民俗学の父」と称されます。

多方面にわたる著作は100点を越え、その業績は海外でも高い評価を受けています。文化勲章を受け、福崎町名誉町民第1号、正三位勲一等旭日大綬章も受章しました。昭和37年(1962)死去する日まで民俗学の研究に心血を注ぎました。

桃山(辻川山)からの眺め
(三木家所蔵写真より)

桃山(辻川山)からの眺め
(三木家所蔵写真より)

山頂からの風景(現在)

山頂からの風景(現在)

三木家の婚姻(結納の品)
(三木家所蔵写真より)

三木家の婚姻(結納の品)
(三木家所蔵写真より)

三木家旧蔵書の一部
(福崎町都神崎郡歴史民俗資料館蔵)

三木家旧蔵書の一部
(福崎町立神崎郡歴史民俗資料館蔵)

三木家と柳田國男

三木家の思い出

「――村に帰っても、私には伯父も伯母もないので、すぐにお宮へ詣って、山の上から自分たちの昔住んでいた家の、だんだん変形して心から遠くはなれてゆくのを寂しく思い、行く所といえばやはり三木の家であった。」(『故郷七十年』辻川の変化)

郷里で「クニョオハン」と呼ばれていた幼いころの柳田國男は、早くに亡くなった三人を除き、健康に恵まれた他の兄弟に対し虚弱で、母親の後をついて回る気難しい少年だったそうです。國男が十歳のときに家は辻川から加西郡北条町に移りましたが、十一歳のとき、親の手元を離れて父の友人であった三木家に預けられました。

13歳の頃の柳田國男
(個人蔵)

13歳の頃の柳田國男
(個人蔵)

「私の家庭教育は完全なものということが出来なかった。十一歳の春にはもう二親の手元を離れて、生れた村の三木という豪家に預けられた。多分家が貧しくて育てにくかった為であろうと思う。三木氏には先代に学者があって、近郷にも珍しい沢山の書物を蔵して居た。それをこの幼少なる食客は、自由に出して読むことを許されて居たのである。」(『ささやかなる昔』)

近隣でも珍しい、たくさんの蔵書を持っていた三木家で、國男は自由に書籍を読むことを許されました。その当時の様子を、次のように回想しています。

「同家の裏手にいまも残っている土蔵風の建物の二階八畳には、多くの蔵書があった。そして階下が隠居部屋で二階には誰も入れないことになっていたのだが、私は子供のことだから、自由に蔵書のある所へ出入りして本を読むことができた。あまり静かなので、階下からおじいさんが心配して「寝てやしないか」と声を掛けるほど、私はそれらの蔵書を耽読した。その間はいたずらもしないので、家人は安心したのであろう。いろいろな種類を含む蔵書で、和漢の書籍の間には草双紙類もあって、読み放題に読んだのだが、私の雑学風の基礎はこの一年ばかりの間に形造られたように思う。

「私はこの三木家の恩誼を終生忘れることができない。」(『故郷七十年』幼時の読書)

この時、三木家にある多種多様な本を読みふけった体験が、後に“民俗学の父”と呼ばれる柳田國男の源を育みました。このほか、國男少年を時折呼びとめて、おばあ様が珍しいお菓子を出してくれた裏座敷での思い出、他よりもずっと規模が雄大で盛大に行われた祝宴の空気、山のような蔵書を自由に読ませてくれた先代の承太郎氏、その息子で同年輩であり一生親しくした当主の拙二氏――自身の思い出を振り返った著書『故郷七十年』の中では、三木家やそこに住まう人たちについて触れられています。故郷を懐かしく思い出すとき、柳田國男の脳裏には三木家が浮かんだのかもしれません。

柳田國男が寝起きしたと伝える部屋

柳田國男が寝起きしたと伝える部屋

柳田國男が過ごした部屋

柳田國男は三木家に1年間ほど預けられましたが、どこで寝起きしていたかは詳しく分かっていません。役所の間の吊り階段を上った3畳間で寝起きしていたのではないかと伝わっています。また、離れの2階では三木家が所有していたたくさんの書籍を読みました。