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福崎町立田原小学校

TAWARA ELEMENTARY SCHOOL

  • 〒679-2204 兵庫県神崎郡福崎町西田原1274地図
  • 電話番号:0790-22-0102

校区の沿革と概要

  • [公開日:]
  • ID:71

校区の沿革

 校区には妙徳山古墳、東広畑古墳をはじめ、多くの古墳がみられることから、早期に開けていたことが想像される。『播磨風土記』には「伊和大神御子建石敷命、山使村在於前山、乃因神在為名、故日神前郡(かむさきのごおり)」とあり、奈良時代には当地が行政単位としての地位を得ていたことがわかる。田原の名は、平安時代後期に著された「妙徳山縁起」に初見される。その後、院政時代に鳥羽院に寄進され田原荘と呼ばれるようになり、多くの文献に登場するようになる。

 戦国時代、織豊時代を経て、江戸時代には姫路藩下に入り、三木家が大庄屋としての地位を明治維新まで受け継ぐこととなる。現存する大庄屋三木家住宅は県の重要文化財となっている。

 明治の廃藩置県により、姫路藩が廃され飾磨県に、また、郡制の施行により新たに神崎郡が置かれた。郡役所が田原村辻川に置かれたことから、辻川は神崎郡の政治・経済・文化の中心地として発展した。

 日本民俗学の創始者である「柳田國男」は明治8年に、田原村辻川に生を受け、本校の前身である昌文小学校を卒業する。『故郷七十年』のなかで交通の要所である辻川でさまざまな見聞をしたことが民俗学を志すきっかけとなったと記している。

 昭和31年には田原村、八千種村、福崎町が合併し、現在の福崎町が誕生した。高度経済成長期を経て、中国自動車道と播但連絡道路が開通し、そのインターチェンジが田原地区に建設されたことから、大規模小売店の進出、新興住宅地の開発などが進み、急速に都市化が進んでいる。

 近年、柳田國男にちなみ「妖怪の町」として観光開発を進めている。また、田原地区を縦断し、飾磨港と生野銀山を結んだ「銀の馬車道」が日本遺産に認定されたことも注目をあびている。


校区の概況

 兵庫県の中央部、神崎郡の南部に位置し、北は市川町川辺・瀬加地区に、東は福崎町八千種地区に、西は市川をへだてて福崎町福崎地区に、南は姫路市船津地区に接している。姫路市の中心部から約17kmの距離にある。

 校区内には市川の形成にかかる典型的な河岸段丘が見られる。市川水系から取水する西光寺野疎水や県内で3番目の面積を誇る長池の建設など、先人の努力の結果、段丘上には水田が広がっている。また、特産物である「もち麦」の栽培も行われるようになっている。

全般的には気象概況に著しい現象はあらわれず、おだやかな気候といえる。夏は盆地状の地形であることから高温になることが多い。冬は北部山地に北西季節風がさえぎられ、積雪量・雨量ともに少なく乾燥している。


お問い合わせ

福崎町立田原小学校

住所: 〒679-2204 兵庫県神崎郡福崎町西田原1274

電話: 0790-22-0102 ファックス: 0790-22-6716

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