柳田國男生家・記念館
- [公開日:]
- ID:83
概要
文化勲章を受章した民俗学者柳田國男は福崎町名誉町民第1号でもあり、國男の生家である松岡家の兄弟(鼎、泰蔵、國男、静雄、輝夫)はそれぞれの道で大成し、ともに顕彰するために記念館が作られました。
生家は記念館の西隣に移設・保存されており、昭和47年に兵庫県指定民俗文化財となりました。柳田國男はこの生家を「日本一小さな家」といい、そこから民俗学への志も源を発したといってよいと著書『故郷七十年』の中に記しています。
松岡家兄弟
松岡 鼎(まつおか かなえ)
松岡操(約斉)の長男。万延元年生まれ。はじめ師範学校に入り、郷里の小学校長となったが、後に帝国大学医科大学で学び、医師となり千葉県布佐に住む。東葛飾郡会議員、県医師会長、布佐町長等となり、地方自治に大きく貢献した。昭和9年75歳で没。
井上 通泰(いのうえ みちやす)
松岡操の3男。慶応2年生まれ。後に田原村吉田の医師井上碩平の養子となる。帝国大学医科大学に学び、眼科医となる。史学に造詣深く、歌人としても有名。宮中顧問官、貴族院議員、帝国芸術院会員、御歌所寄人等に任ぜられる。万葉集新考、播磨国風土記新考等著書多数。昭和16年76歳で没。
松岡 静雄(まつおか しずお)
松岡操の7男。明治11年生まれ。海軍兵学校を首席で卒業。日露、日独両戦役に従軍。海軍軍令部参謀、外国駐在武官、戦史編纂委員長等になったが、海軍大佐で退官。言語学・民族学を研究し、多くの業績を残した。著書に日本古語大辞典、蘭和辞典、太平洋民族誌等がある。昭和11年59歳で没。
松岡 映丘(まつおか えいきゅう)
松岡操の8男(本名・輝夫)。明治14年生まれ。東京美術学校卒業後に母校の教授となる。大和絵の研鑚と発展に生涯をかけ、新興大和絵会、国画院を結成、画壇に大きな影響を与えた。帝国芸術院会員。昭和13年58歳で没。
開館時間
午前9時00分~午後4時30分
(入館は午後4時まで)
休館日
月曜日(祝日の場合は開館)、
祝日の翌日(土、日曜日の場合は開館)
12月28日~1月4日
入館料
無料
問合せ先
「福崎町立柳田國男・松岡家記念館」
兵庫県神崎郡福崎町西田原1038-12
TEL 0790-22-1000