柳田國男と松岡家
 柳田國男の生家である松岡家は、代々医と学問の家でした。國男の祖母松岡小鶴も医を業としましたが、早くから儒学を志し、地方の子弟の教育につくしました。小鶴の学は広く、詩歌、文章、書、算にすぐれ、まれに見る学識者でした。
 また、國男の父、松岡操は、約斎と号し、父祖の志をついで医を業としましたが、儒学や国文学にも造形深く、後に姫路において町塾熊川舎の師範となり、大いに地方の教育に尽力しました。
 國男の母、たけは、北条(現加西市)の旧家尾芝家出身で、学問こそ受けませんでしたが、記憶力にすぐれ、子どもたちが父から受けている漢文の素読を耳で覚え、隣室からその誤読を正すほどだったといいます。
 松岡操、たけ夫婦は男ばかり8人の子どもに恵まれました。3人は早世しましたが、5人が成人し、それぞれの分野でその才能を開花させました。

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