松岡映丘(輝夫)
 松岡家の8男。本名は輝夫で、映丘は雅号です。明治14年(1881)生まれ。幼少期より絵を得意とし、東京美術学校を首席で卒業後、母校の教授となりました。大和絵の研鑚と発展に生涯をかけ、新興大和絵会、国画院を結成。画壇に大きな影響を与えました。

また、長く教職にあって、門下からは杉山寧、橋本明治、山本丘人、高山辰雄ら、多くの俊秀を育てました。昭和13年(1938)、58歳で没。

◆当記念館収蔵品◆
「みぐしあげ」「右大臣実朝」「富嶽茶園図」などの画稿約1,200点、写真など



「右大臣実朝」の画稿
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