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福崎の人々

[2014年2月3日]

鬼追いの写真

 國男さんの福崎時代の思い出には、風景よりも住んでいた人について深いものがあったようです。まず11歳から足かけ二年間あずけられていた大庄屋の三木家の人びと、ことに同年輩で一生親しくした当主拙二氏とその父親承太郎氏、この人は山のような蔵書を自由に國男君に読ませ、家族や召使いの女性たちの非難にもかかわらず、いたずら盛りの國男少年をかばって好きなようにさせてくれました。
 長兄鼎氏の嫁の実家皐家の人びと、辻川の旅館で兄弟たちが母親とよくもらい風呂に入ったえびす屋、そのほかいじめたり、けんかしたりした同級生たち、市川へ泳ぎに行くとき着物を脱いであずける、川に近かった伊藤家、それから・・・と数えていくと、國男少年の知りあいは随分と多かったようですが、みんな東はカケアガリの坂、西は市川までの辻川の街道沿いの住民で、ごく狭い近所づきあいでした。
 鈴ノ森の狛犬や山桃の木、高藤稲荷の大きな藤づるがからんだ木、そして生野街道のはずれにある地蔵堂といった場所が、少年の日の思い出として頭の中に深く刻みこまれました。それは一つには、松岡家そのものが他の土地から辻川に移住し、また北条、布川と移っていった、いわば新来者だったからでしょう。だから、後年柳田國男はこう書いています。「村に帰っても、私には伯父も伯母もないので、すぐにお宮へ詣って山の上から自分たちの昔住んでいた家の、だんだんと変形して心から遠く離れてゆくのを寂しく思ひ 行く所といへばやはり三木の家であった。ゆっくり村の路を歩いて誰か声をかけてくれるかと期待しても、向うが遠慮して声をかけてくれない。私にとっては、山水と友だちになるとか、村人全体と友だちになるやうな気持ちで故郷に帰るのであったが、湖處子(宮崎氏、新聞記者で「帰省」という小説で知られた。)の「帰省」の気持ちとだんだん違ったものになってきた]福崎には、松岡家の兄弟や柳田さんを誇りとする人びとと、出世して故郷をかえりみなくなったと不満をもらす方とがあるようですが、郷里を出た松岡一族の人たちは、こんな気持ちで福崎という土地を考えていたのでした。

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