日本学術振興会時代

「昭和四三年三月で私は東京大学を退職したが、諸種の都合で五月一日付で学術振興会の理事長を拝命することになった。」

「予算規模も三億数千万円とういう財団当時のものを儘引継いだ形で発足したのであった。(中略)私が八ヶ年の満期退職の時に予算は二○億円ちかくまでなったのであった。」

「現在は二○数ヶ国と交流が行われているが、私の在職中に取り決められた国は、カナダ、フランス、ドイツ、ポーランド、スイス等である。(中略)これらの内で特にフランスとカナダとの話し合いが印象深く残ってる。」