宇宙開発のこと

「私の宇宙との関わりは昭和四○年六月から四三年五月まで、宇宙開発審議会の委員を務めたことから始まる。(中略)何故こんなに宇宙開発に深入りしたのかは、私にも判からない。いつの間にかこんなことになったとしか言いようがない。」

そのようなことを『運鈍根』の中で記しながらも。宇宙航空研究所、宇宙開発事業団、宇宙開発事業団のことについてふれている。

「Q計画と呼ぶ直径約一・六メートルの固体ロケット開発計画」を廃し、N計画(アメリカから必要技術や部品の提供を受け静止軌道の衛生投入を行った)(N-I,N-II計画)を進める中でも、大きな衛生の要求が出され、それに対応するものが必要となってきた。その中で、「第一段ロケットはN-IIの第一段をそのまま使い、第二段に国産技術で推力約一○トンの液酸、液水エンジンLE-五を開発してのせる案(H-I)に纏まったのであった。」
「H-Iの計画もかたまり、次のH-IIを決める段階に至った(中略)H-Iの概要を早く決定し、開発を軌道にのせる必要を痛感したのであった。」

「事業団の方でもH-IIの大型化について研究され、第一段ロケットには、推力約一○○トンの液酸、液水エンジンを開発し、第二段にはLE-五を用いることとし、適当な固体ブースターを配置して約二トンの衛生を静止軌道に打ち上げ得る設計が纏められたのである。」(『運鈍根』より)