主人の思い出

主人の連れ添って60年、当初は大変むずかしい人で、戦前の社会情勢の影響もあったかと思われますが、特に家庭内では口数が少なく、寂しさを感ずることが多かった様思い出されます。

年をとるにつれ、社会情勢も大きく変化し、また仕事の面でも造船以外の分野に広く活躍させて頂くようになり、人柄もずいぶん変わって参りました。

気むずかしい人柄は、大変真面目で曲がったことは絶対に許せず、筋道をきちんとする事に大きく関係していた様思われます。

自分の考えをあれこれと口に出して説明するのではなく、顔の表情にあらわし「目でにらむ」ような仕草が多かったよう思い出されます。

この性格は、人世を省みて記した自叙伝「運鈍根」の言葉に通じる所が大いにあるように思っております。

「運鈍根」にも述べておりますが、長い人生の中で、転機となるような時点に、幸運にめぐり合わせ、それをつかむべく辛抱強く努力を重ねて行ったのも、このような性格を持ちあわせていたからだと、今更ながら感じます。

仕事以外でも、趣味のたぐいは比較的白黒をはっきりさせる、勝負事を好んで居りました。
その一例が「将棋」で日本将棋連盟より「初段」の免状を頂き、自分の腕前を自慢し、対戦相手を負かして悦に入っておりました。

主人が亡くなりまして早10年近く経ちましたが、85年の人世を多くの方々より信望され、また多くの栄誉ある賞などを頂戴出来ましたことを、筆をとりつつ回想しております。

平成14年10月記 吉識美代子