東京大学在住中は、船舶の構造力学に関する研究並びに教鞭に従事し、特に船の大型化および溶接に関する研究に専念しました。
日本造船業を世界一の造船王国に導くことに大きく寄与しました。
東京帝国大学を定年退職後は、日本学術振興会理事長、日本学術会議副会長、学術審議会会長等を歴任し、国内の学術振興、海外研究者と学術交流、および日米間の科学、教育文化協力事業に貢献しました。
宇宙開発についても、昭和43年頃より宇宙開発委員会員に就任、国内宇宙開発政策に関与しました。
特に昭和54年以降昭和60年迄は、委員長代理として国産大型H-IIロケットの決定等に携わりました。
吉識恒夫作成資料より一部改変