固寧倉(町指定重要文化財)
- [公開日:]
- ID:4757

固寧倉とは、江戸時代後期に姫路藩が整備した非常用食糧備蓄倉庫です。飢饉や災害に備えて、米・麦をたくわえたものです。各地で普及しましたが、姫路藩では、衣笠弥惣左衛門が河合寸翁に建議し広まりました。
固寧倉の名前は、『書経』という中国の書物の中の「民は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し」という部分より固寧倉と名付けられました。
福崎町は、江戸時代は姫路藩に属していました。固寧倉は文化6年(1809)に20数か所、文化12年(1815)に80数か所、天保14年(1843)に92か所、弘化3年(1846)288か所ありました。
福崎町内では、天保14年に山崎組に8か所、辻川組に8か所設けられていたようです。福田の固寧倉は、大歳神社鳥居西の卿倉屋敷とよばれる地にあったものを明治20年頃移築したものです。これは、間口3間、奥行2間、前庇付き平入り土蔵造りという形をとり、屋根瓦は、本瓦葺きとなっています。
この固寧倉もつぶれかけましたが、多くの方々の保存運動が実り、修復・保存、町指定文化財となりました。
現在も、固寧倉は、相互扶助の精神の大切さを伝えてくれるものです。
所在地 福崎町福田861
指定年月日 昭和53年12月1日